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朝、玄関先の雪の間にチューリップの芽を発見しました。今年は豪雪で苦労続きの冬でしたが春は確かに近づいている!ちょっとうれしい気持ちになりました。この場所は2週間前までは1メートル以上雪が寄せてあった場所です。雪に覆わた地中でも時の流れを知り芽を伸ばしてきた植物の生命力と自然の力に感動した瞬間でした。(中谷)
栄村からの帰路、飯山市の道の駅でかまくらを見つけた。本来は降雪地域に伝わる小正月の伝統行事の1つ。かまくらの中に祭壇を設け、水神を祀る。現在一般的には、伝統行事で作られるものに限らず、雪洞自体が「かまくら」と呼ばれる。飯山市のかまくら祭りは2014年2月8日~9日に開催されるそうです。かまくらの中って不思議と暖かさを感じます。(中谷)
旧年中は格別のご厚情を賜り誠にありがとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
2014年1月1日
長野県生活協同組合連合会
※上田均会長理事の新年のご挨拶は「栗田雑感」に掲載させていただきました。
紅葉も終盤となり、回りの山から庭先に目を向けてみると、真っ赤な丸い果実をたくさんつけた南天が、初冬の日差しを浴びて輝いていました。
南天は、「難を転ずる」と言われることから、縁起の良い木とされ、防火や厄除けなどとして、庭先や鬼門に植えられることが多いようです。また、正月飾りや生け花などにも使われます。(木下)
沖縄県伊平屋島に行ってきました。伊平屋島のシンボルとされている樹齢300年の「念頭平松」は、高さ8m、最長幅14.5m、幹の太さ3.7mと王者の風格を感じさせ、地面につくほどに伸びた枝々が美しい樹形をなし、見る角度で様々な表情を楽しむことができます。沖縄県の指定天然記念物に指定されているとのことです。(木下)
ちょうど先週からオレンジ色の小さいな花を咲かせて、周囲に甘くて鮮やかな芳香を放っている。同じモクセイ属のギンモクセイよりもこのキンモクセイの方が香りが強い。今の季節だけでもこの生花で香りを楽しみたいものだ。静岡県の県木であり、その他、長野県高森町をはじめ全国25の市町村の木にも指定されている。私はこの香りが好きだ。(中谷)
メスを独占するため、オスがメスの背中に乗った姿からこの名前がついたようです。やや日陰の多い環境を好み花壇や畑などに多く見られます。このバッタは、ほとんど飛ぶことが出来ず、メスの方が大きいのが特徴で、オスはメスの背中に乗っている時は、ほとんど何も食べないとのこと。なぜ!(木下)
この時期になると、我が家のあちらこちらに、青紫蘇や赤紫蘇が生えてきます。
紫蘇は、一年草で大きいものは高さ1m程になるようですが、我が家のものは30㎝程です。赤紫蘇は薬効が高く、青紫蘇は栄養価が高いと言われ、また、臭覚神経を刺激し食欲の増進などの効果もあり、夏バテ解消に欠かせない食材のひとつです。(木下)
日本全国に自生する山野草で、蛍が出るころになると5㎝程の釣鐘型した特徴ある花を咲かせ、花の色は淡い赤紫色が一般的です。花の由来は、捕獲した蛍をこの花で包んで持ち歩いたことから名づけられたようです。
ようやく降った雨に、かたつむりも気持ちよさそうに動き回っていました。(木下)
この標柱は長野県最北端に位置し、新潟県境に接している森宮野原駅の構内にある。森宮野原駅は1945年(昭和20年)2月12日に7.85mの積雪を記録し、それを示すメジャーが横倉方面のトンネル寄りのホーム端に立てられていたが、1990年1月、構内に新たにJR日本最高積雪地点を示す標柱が設置された。(中谷)
少し標高の高いところでは、藤の花が見ごろを迎えています。
蝶のような形をした小さな花ですが、房となって大きい物では80㎝以上になるものもあるようです。木のまわりは、花の甘い匂いが漂っていました。
日本では、ノダフジ(野田藤)とヤマフジ(山藤)があり、一般的にフジ(藤)と言われているものは、ノダフジで花房が長く鑑賞用として好まれています。ヤマフジはノダフジに比べて花と葉が小さいのが特徴です。また、ノダフジはつるが右巻き (上から見て右回り)で ヤマフジは左巻き(上から見て左回り)という違いもあるようです。(木下)
地域によって差はありますが、ちょうど桜が咲く時期に合わせて生え、一般的に日当たりの良い南斜面の土手や田畑のあぜ道でよく見かけます。食することもできますが、急速に成長するため、採る時期が難しいようです。(木下)
本格的に草花の開花の時期となりました。このところの暖かさで、我が家の『辛夷』もやっとほころび始めました。枝先に5~10㎝位の花を咲かせ、花は純白で花弁は6枚、枝は折れやすく枝を折ると芳香が湧出するようです。(木下)
本格的に花粉の飛散が始まりました。今年は、昨年の1.5倍から2倍の飛散量とも言われ、花粉症の方には、つらい時期となります。また、花粉に合わせて黄砂やPM2.5にも悩まされそうです。(木下)
1月2日のレインボーブリッジから見た東京スカイツリーです。普段は、ぼやーっとしか見えないようですが、空気も澄んでおり、はっきりと見ることが出来ました。ひときわ高く圧感です。(木下)
旧年中は格別のご厚情を賜り誠にありがとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
2013年1月1日
長野県生活協同組合連合会
※上田均会長理事の新年のご挨拶は「栗田雑感」に掲載させていただきました。
10月中頃に、我が家の庭の片隅に、見たことが無い草花(?)を発見。あまり気にせずにいたところ、先日、何やら白い羽のようなものが出ていました。調べてみると「風船唐綿」という観賞用植物で切花や生け花等に使われるようです。夏には白い小花を咲かせ、秋に表面に剛毛を持ち風船のように膨れた果実を付けます。果実ははじけると白い綿毛の付いた種子を出します。(木下)
釧路湿原は、国内で28番目に指定された国立公園で、自然が与えてくれた歴史的遺産と言われ、広さは28.788ヘクタール(東京ドーム6125個分)。約2.5㎞の遊歩道のサテライト展望台から見た雄大な湿原です。写真の中央にわずかに白く見えるのがタンチョウヅルです。展望台にある双眼鏡からは、はっきりと2羽のタンチョウヅルを見ることができました。(木下)
ザクロには多くの品種があり赤身ザクロが一般的ですが、白い水晶ザクロや果肉が黒いザクロなどもあるようです。日本では東北地方の南部から沖縄まで見られ、日当たりが良い場所を好みます。ザクロは、観賞用、食用の他、乾燥させた樹皮または根皮は生薬として用いられることもあるようです。(木下)
雨が上った後、普段いるはずのない家の庭隅にサワガニがいました。日中は石の下などにひそみ、夜になると動きだすのが一般的だそうですが、雨に流されて来たのでしょうか。サワガニは、ハサミやお腹の形でオスとメスの区別できるようですが、さて、このカニは、オス、メスどちらでしょう。(木下)
9月1日長野県の諏訪湖で全国新作花火競技大会行われ、約1万8000発の花火が夜空を彩った。色とりどりの斬新な花火が打ち上げられるたびに、歓声や拍手がわき起こりました。見ごたえのある花火大会でした。(木下)
残暑が厳しく、人も草花もぐったりとしている中、目を外に向けてみると、トンボが元気よく暑さに負けず飛んでいました。この時期、よく目にするトンボで、人に対する警戒心も比較的薄く、こんな近くで写真を撮ることが出来ました。(木下)
連日、厳しい暑さが続き、各地で真夏日、猛暑日となっています。
8月5日14時頃の長野駅前の温度計も36度となっており、照りつける太陽と焼けたアスファルトで、体感温度は気温以上に感じました。(木下)
夕焼けは空や山など赤く染めとても綺麗ですが、短時間で終わってしまう現象から、文学や映画作品では、悲しさや寂しさなどをあらわすものとして使われることがあるようです。
「夕焼けの翌日は晴れ」ということわざがありますが、この夕焼けの翌日は、晴天で暑い1日となりました。(木下)
例年より遅れて、ようやくアンズの花が咲き始めました。見頃はこれからで、長野県千曲市の上平展望台からの花景色は、一目十万本と言われています。また、千曲市はアンズの生産量も全国で1.2を誇る産地としても有名です。(木下)
寒暖の差が激しいこのごろですが、庭には、梅、福寿草、クロッカス、クリスマスローズなど春の花が咲き、水仙をはじめとする多くの草花のつぼみも膨らんできています。
県下でも桜や千曲市のアンズの開花予想が発表され、いよいよ春本番です。(木下)
今月末をもって廃線となる長野電鉄屋代線。(須坂⇔屋代間路線距離24.4㎞)
千曲川の東岸を走る河東鉄道として生まれ、90年にわたり地域の足として走り続けました。
廃線に伴い、最寄りの駅や沿線では多くの方が、その姿を写真に納めていました。(木下)
昨年11月、ある宴席で原木から生椎茸を採り焼いて食し、原木はお土産として持ち帰りました。週に2回ほど霧吹きで水分を加え、比較的暖かい場所に置き、年明けは厳しい寒さから守るため、浴室に移したところ、椎茸が成長し、こんなに大きくなりました。(木下)
氷点下9度となった先週の金曜日の朝、ガラスの表面に氷の結晶ができていました。外気で冷やされたガラス表面に室内の暖かい空気の水蒸気が霜となり結晶が出来たようです。気温と湿度などの違いで、針状、樹枝状、板状、コップ状など様々な模様を描くことがあるそうです。(木下)
雨樋から雪解け水が流れ、朝夕の寒さで水が氷り柱ができていました。日中は、氷った柱を流れる雪解け水に太陽の光があたり、きらきらと光ってとても奇麗でした。また、風が吹く度に柱が揺れ、一段と奇麗さが増していました。(木下)
佐久の鯉で有名な長野県佐久市を走行していると、佐久の鯉を紹介する看板など多数あり、橋の親柱には鯉のオブジェもありました。こんなところまで・・・・・。さすがに鯉の歴史の町という感じでした。佐久の鯉は、発祥から220年余り。佐久平を貫流する千曲川の清流など豊かな水に加え、佐久の気候が身の締まった鯉を誕生させたようです。(木下)
旧年中は格別のご厚情を賜り誠にありがとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
2012年1月1日
長野県生活協同組合連合会
※清水邦明会長理事の新年のご挨拶は「栗田雑感」に掲載させていただきました。
雪の便りも聞かれるようになりました。先日、長野市でも雪が降り、畑の野沢菜も白く覆われていました。野沢菜は霜や雪にあうと、柔らかくおいしくなると言われます。
先週末には、野沢菜を洗い漬け込むお宅も多く見受けられました。野沢菜は、お漬物や野沢菜を素材とした料理など幅広く楽しむことができます。(木下)
大輪の山茶花が咲きました。花の少ない晩秋から初冬にかけて咲き、この時期には貴重な花で、とてもよい香りがします。山茶花は椿の花とよく似ていますが、山茶花は、葉縁がギザギザしており、花びらが一枚いちまいばらばらに散るのが特徴です。地面に落ちた花で山茶花と椿を見分けるのも一つの方法です。(木下)
庭のイボ竹をかたづけようとしたその時、カマキリがモゾモゾと動いていました。よーく見ると、上から下にゆっくりと卵を産みつけていました。
カマキリの卵の位置を見ると、その冬の雪の量がわかると言われますが、なんと地上から1.5m程のところに・・・。今年は、大雪かな・・・・。(木下)
真田十万石まつりが10月8.9日と松代町で行われ、9日には、恒例の大名行列が松代城跡から町内をにぎやかに練り歩きました。
今年は、佐久間象山の生誕200年記念ということもあり、行列には、佐久間象山隊も加わりました。当日は、天候にも恵まれ、多くの見物客で賑やかでした。(木下)
今年の夏は、節電対策(緑のカーテン)のためゴーヤを育てるお宅も多かったのではないでしょうか。
節電対策や食用と大活躍のゴーヤですが、この時期になると、そのまま放置されている風景を目にします。熟れたゴーヤは、色も緑色からオレンジ色に変わり、苦味は少なくなるようです。苦味が苦手な方には、熟れたゴーヤを食してみてはいかがでしょうか。(木下)
イチョウの葉の影に沢山の銀杏の実がついていました。
晩秋になると黄色く紅葉したイチョウの木の下に、独特の匂いを発し、銀杏の実が落ちています。果肉を取り除く時は、カブレやすいためゴム手袋などを使用し、果肉が皮膚に触れないよう注意が必要です。銀杏は、漢方で古来より咳止め、夜尿症、頻尿の改善に使われるそうですが、手間が掛かる分美味しく感じることから、食べ過ぎに注意が必要です。中毒を起こすこともあります。(木下)
オニヤンマは、グリーンの複眼とはっきりした黄色と黒色のしま模様をもち体長10㎝~12㎝位の日本最大のトンボです。大きな複眼を持っており動体視力は抜群に良く、つかまえるには、スピード感もあり、たいへん難しいと言われますが、そんなオニヤンマが人の背中に止まり、捕まえようとしても動きません。よほど疲れていたのでしょうか。(木下)
蝉のぬけがらがありました。木の根元には幼虫が土の中から出てきた様な穴が幾つかあり、たくさん成虫になったのではないかと思いますが、あまり蝉の鳴き声が聞こえないのはどうしてでしょう。7年間、土の中にいて、地上では7日間しか生きられないといわれていますが、夏も本番となり、元気な鳴き声を聞かせてほしいと思います。(木下)
例年より早く梅雨が明け、暑い日が続いていますが、雨上がりの朝、庭のアジサイにカタツムリがいるのを見つけ、この時期ならではの光景に写真をとりました。
カタツムリは、巻き貝の仲間で、雄と雌の区別がなく、1匹で雄と雌の働きをしますが、2匹以上いないと卵は生まれないそうです。(木下)
柿の花には、雌花と雄花があり、雄花は時期が過ぎると地面に落ちてしまいます。この光景は、5月下旬から6月初め頃に見られます。
柿の花は、「柿落とし(こけらおとし)」と言われ、「柿」の「市」の部分の縦棒が上から下まで突き抜けている字で「こけら」と読み、「材木のけずりくず」などを意味しているそうです。新築、改築工事の最後に足組みなどの?(こけら:木材の削りくず)を払い落としたことからと言われています。(木下)
連休の最終日に、上田市武石余里にハナモモを観に行きました。里山の川沿いに数千本のハナモモが植えられていて、壮観でした。当日は大勢の人が観に来ていました。
ハナモモ(花桃)は、バラ目バラ科サクラ属の耐寒性落葉低木だそうです。原産地は中国ですが、花を観賞するため日本で数多くの品種改良が行われ、種類も多いそうです。(小松)
「山菜の王様」と呼ぶにふさわしい「たらの芽」は、山の傾斜地などの水はけの良いところに多く見かけます。山菜としてはとても人気があり絶好の標的とされ、たらの芽を食べないと「春の実感」が無い、というほどに「春の山菜」なっています。
木にはトゲがありもろく、強くひっぱたりするとすぐ折れてしまいます。そのため、木を切断されたものや折られたものなど可愛そうな姿を見ることが多々あります。(木下)
桜の花も散り始め、緑の葉が鮮やかになってきました。ふと回りを見ると一面に菜の花が咲き輝き、近くでよく見ると蜜蜂がたくさん花に集まっていました。
菜の花は、観賞して良し、食して良しとさまざまな楽しみ方があります。ゆでてお浸しや和え物、そのほか炒め物、汁物、揚げ物などに使うことができます。下ゆでする場合は、ほろ苦さやかすかな辛味と歯ざわりを生かすように、ゆでるのが特徴です。(木下)
あの大震災から3週間程が経過した4月2日、宮城県(仙台市)に行きました。
東北自動車道も補修で段差も多く見受けられました。仙台市内では、倒壊している家、屋根瓦、壁が落ちた家、ガラスが割れている家など多く見受けられ震災での被害が生々しく残っていました。車で移動する際に「こんな横断幕」を目にし、被災された皆さんの復興に向けた思いが伝わってきました。(木下)
残雪の浅間山がとても眩しく見えました。
春から初夏にかけて、山腹の残雪が消えてゆくのにともない、いろいろな形の雪形が現れ話題となりますが、さて、浅間山はどうでしょうか。(木下)
日中の気温が10℃を超えた2月下旬、日当たりの良い場所では福寿草が咲いていました。日の光を受け、黄金色に輝き鮮やかで思わず写真を撮りました。寒暖差のあるこの時期は、花が開いたり閉じたりする習性があり、しばらくの間、花を楽しむことができます。また、福寿草は、春一番を祝う花として、福を招く縁起の良い花とされ、別名ガンジツソウ(元日草)とも呼ばれています。
大坂城は、姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられており、通称「太閤さんのお城」とも呼ばれています。真近でみる大坂城は迫力があり、太陽で反射する鯱鉾や金箔が眩しく見えました。天守閣の展望台からは、大阪の街を一望することが出来るとのことですが、時間がなくその景色を見ることはできず残念でした。もう少し暖かくなると大阪城周辺の桃、梅、桜の花も楽しめるとのことです。(木下)
2月5日から同13日の18時00分~21時00分にかけて長野灯明まつりが善光寺で行われています。このまつりは、長野オリンピックの開催を記念し、善光寺をオリンピック五輪の色にちなみ五色でライトアップし、光によって世界に平和の灯りを伝えるものだそうです。このまつりは2004年から開催されており今年で8回目とのこと。私が行った2月5日は初日ということもあり、大勢の方が来ていました。とても幻想的な眺めでしたが、2月ということもあり寒かった。(木下)
暦の上では「大寒」となり一年を通じて最も寒い時期ですが、日当たりの良い場所では、雪もとけて、「ふきのとう」が芽を出していました。
「ふきのとう」は、雪解けを待たずに顔を出す春一番早くでる山菜と言われ、独特の香りとほろ苦さが春の息吹を感じさせます。食し方も豊富で、「ふき味噌」「天ぷら」「やくみ」などが一般的です。
また、冬眠から目覚めた熊は最初に「ふきのとう」を食べるとも言われています。「ふきのとう」を取りに行く際は、熊に注意を・・・・(木下)
この冬一番の冷え込みとなった朝、外に出てみると一面に霜柱ができ、朝日を浴びてキラキラときれいに光っていました。この時期ならではの風景に思わず写真を撮りました。
小さい頃を思い出し、伸びた霜柱を踏んでみると、今も昔も変わらないザクザク感がなんとも言えない。
霜柱は、温度、土質、水分条件によって異なりますが、丈が10cm以上にもなることもあるようです。しばらく観察してみようと思います。(木下)
丹精込めて作ってくれた方に感謝。白い粉がふいていて、とっても甘くておいしかったです。干し柿作りは、手間と時間がとってもかかります。ポイントはやさ~しくもむことでおいしい干し柿ができるそうです。
干し柿は、ビタミンAが干し柿にする前の2倍になるようで、食物繊維も豊富。干し柿が出てくるといよいよ本格的な冬の到来となりますね。(二村)
テレビのニュース番組で「森の光物語」のイルミネーションを見て、是非、行ってみたいと思い出掛けました。豊科インターから国営アルプス公園に行くまでの道がよくわからず、道を訪ねながら何とか到着。駐車場からイルミネーションが見えた時はちょっと感動。
入口からイルミネーションセンターをぬけると流れる光のトンネルが見え、七色の光のトンネルはテレビで見たものとは違い光の中に吸い込まれていく様な感じで思わず写真を撮りまくる。トンネルを過ぎると音と光のシンクロファンタジー。ホワイトとブルーの光が池を奇麗に彩り、それが音楽に合わせていろいろな色を発して踊りだしとても感動的でした。水と光と音のファンタジーを楽しんだ一夜だった。(木下)
モクセイ科モクセイ属の常緑小高木樹でギンモクセイの変種。
中国南部が原産で江戸時代に渡来した。中国では、正しくは丹桂がこれに当たるが、一般には桂花の名前でよばれることがあります。お彼岸が過ぎると小さいオレンジ色の花を無数に咲かせ芳香を放す。この臭いが漂ってくると秋を感じさせてくれます。ただ、モンシロ蝶は、この臭いが苦手のようで寄りつかないらしい。蝶にも嗅覚があるのだろうか。(木下)
十数年前に「小布施(長野県小布施町)」の栗の苗木を知人からいただき、人の背たけ程の苗木も今では見上げる程に成長しました。その栗の木に今年も栗が実りました。
もう少し秋が深まると栗が顔を出します。今年は、猛暑により農作物や果物に影響が出ていますが、さて、栗はどうでしょうか。(木下)
朝夕、大部涼しく秋の気配を感じるようになりました。田んぼでは稲刈りの様子が見受けられます。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 今年は、猛暑で大変な夏でしたが、稲にとっては、この暑さが良かったのか「豊作」との声をよく耳にします。
お米は、農家の方が八十八回も手間をかけて作られることから、「八十八 → 米」という字になっているそうです。農家の方の御苦労のおかげで、今年もおいしいお米が食べられそうですね。(木下)
動物園などで入場者何万人目などとニュースになることがあるが、インターネットなどでは、ホームページやブログにアクセスした人が何番目に訪問したかわかるカウンターがついている場合があり、100とか10000などのほかに1111とか1234などの数字が並ぶ時がある。これをキリ番というとのことで、「キリ番をゲットした」などという言い方で使う。
本来、キリ(切)とは区切りのことで、ものごとの切れ目のこととされる。ちょうど昨日、自分のクルマのオドメーターが「キリ番」となったが、「区切り」は一瞬で、メーターはどんどん動いていく。
日常の生活や仕事は、継続と区切り、そして新しい変化の連続だ。自分が周りから生かされていることに感謝をしつつ、回り続けるメーターのように一歩一歩着実に前を向いて進んでいきたいと思う。(土屋)
広島のお好み焼きは、溶いた小麦粉をクレープのように薄く焼き、その上にキャベツを乗せて焼いていく。目の前で、店員さんが手際良く豚肉や卵、中華めんといった具を乗せ、コテ使いもよろしくひっくり返していく。ドロリとソースをかけられた熱いお好み焼きを、汗をかきながら「はふ、はふ」と頬張る。うまい。
お好み焼きは、大きく分けるとこの「広島風お好み焼き」と「関西風お好み焼き」になるらしい。ルーツをたどれば相当古く、お好みの名の通りさまざまな変遷を経て進化してきたとのこと。ソースもイカリソースやオタフクソースなどお好み焼き用の独特のものが作られるほど地域の食文化となっている。今度は、家のホットプレートで広島風お好み焼きを作ってみよう。(土屋)
うだる暑さの午後、緑多い公園を通ると一斉に鳴くセミの声のシャワーを浴びた。耳が痛くなるほどだが、昔の風流人は時雨の音に見立てて夏の季語としたという。
写真のアブラゼミは、茶色の羽模様のおなじみのセミで、名前の由来は熱い油でものを揚げている時の音からきているとか。
4年~6年も土の中で育ち、まぶしい地上に出て約2週間の生を懸命に生きる姿は、小説の中の登場人物の形容に使われたりする。木の根元には、セミが出てきた暗い穴がたくさん開いていた。(土屋)
露草(つゆくさ)科ツユクサ属の1年草で、別名がツキクサ(月草)やアオバナ(青花)、ボウシバナ(帽子花)など30以上もあるという。
朝咲いた青い小花が、その日のうちにしぼむ一日花で、万葉集には月草(ツユクサの別名)を詠ったものがあって、儚さの象徴として古来より日本人に親しまれていたとも。秋の季語で、花ことばには、「豊潤」「恋の心変わり」「尊敬」「懐かしい関係」「密かな恋」などがある。(土屋)
もう少しで収穫という野菜や果樹が野性動物に食べられてしまった話を伺うと、農家の方々の落胆と怒りは想像に余りある。
そこで登場するのが「電気柵」。イノシシは人間が寝ている夜や早朝に出没することが多く、人がいない時間のイノシシ除けにしているとのこと。結構な電撃ショックがあって、近づかなくなるという。
住宅街の畑でもタヌキやハクビシンの被害を聞くが、中山間地と違って電気柵は難しい。山里、人里いずれにしても、人と動物の知恵比べとなっている。(土屋)
「いちご」はバラ科で樹木に分類されるとか。梅雨の晴れ間に長野市の中山間地を訪れた時、山道のわきにポツンポツンと熟した赤い実が生っていた。とても美味しそうだが、名前の通りそんなに甘くないらしい。山の住人達の貴重な食べ物なのだろう。
鳥のさえずりが聞こえ、林からは涼しい風が吹いてきて、緑の深さや鮮やかに咲く花々に山の豊穣さを感じるひと時だった。(土屋)
二十日大根はアブラナ科ダイコン属の一年草。ヨーロッパ原産で明治時代に日本に入って来たらしい。
庭に種を植えて4週間ほど、その名のとおり、短期間で収穫できた。実も美味しいが、葉も栄養価が高いとのこと。
自分で育てる野菜は、育つ途中も楽しく、収穫はもっとうれしい。究極の産直野菜は新鮮さ100%です。(土屋)
アンデルセンの人魚姫は有名だし、日本でも八百比丘尼の話に出てくる。
いずれも、人間の醜い欲望と報われない心が悲しい結末に繋がっていくものが多い。 童話作家「小川未明」が書いた、「赤いろうそくと人魚」の話のモデルになった言い伝えが新潟県の雁子浜にあり、近くに人魚の像が建立されている。直江津市の船見公園にも人魚の像がある。
おりしも、米軍基地移設問題で揺れる沖縄名護市の辺野古沖には、人魚に見間違えられて伝説の基となったと言われるジュゴンが生息し、貴重な餌場があるという話を聞いた。(土屋)
日本からアメリカ合衆国へ贈った桜の返礼として贈られたのがこの木だそうで、ハナミズキの花言葉に「返礼」というのがあるからおもしろい。
街路樹としても定着してきていて、この時期にはそこかしこで白や淡紅色のガクを開いてきれいだ。
花びらと見まがうのはガクで、水芭蕉と同様だ。ガクの真ん中に緑色をした花がちっちゃくびっしりと咲き、秋には実がついて紅葉もする。
花言葉は他に「私の思いを受けてください」「公平にする」などがある。(土屋)
通称「お台場」は、国防のために築造された砲台のある陣地のことで、ペリーが来航して江戸幕府に開国を迫った際に、幕府が洋式の砲台を海上または海に近い陸地に建設させ、品川台場と呼ばれたとのこと。
この品川では、第一台場から第八台場が作られ、現在は大正十五年(1926)に国の史跡に指定された第三、第六台場だけが残され、第三台場は「台場公園」として開放されている。
幕末期には、日本全国の臨海部に1000以上の砲台場が作られたと知って驚いた。近代史を描く大河ドラマが身近に思える歴史的建造物だ。
長野県にも、函館五稜郭と同じ星形の西洋近代城郭「龍岡城(未完成)」が佐久市にあって、当時の遺構を留めている。(土屋)
浅草の建物のイメージといえば、浅草寺に花やしき、このごろでは金色に光るアサヒビールビルとそのホール屋上に輝く黄金のオブジェが有名だった。
そこに建てられ始めた東京スカイツリーは、すでに見物客も多く訪れる名所で、先週東京タワーの高さを抜いて338メートルになり、最高634メートルの電波塔になるとか。赤いクレーンが建設中を示している。
東京タワーは、怪獣映画で何回も壊されたが、このスカイツリーも何らかの映画に使われるのだろうな。
高所恐怖症のクセに、完成後に展望台からパノラマを見てみたいと思った。(土屋)
3年前の「風林火山」、昨年の「天地人」と大河ドラマでクローズアップされた上杉謙信と武田信玄の戦いで有名なのが川中島の合戦。
中でも第4次合戦の際に、上杉謙信が霧の夜陰に乗じて鞭声粛々と千曲川を渡ったといわれる場所が「雨宮の渡し」だという。
今では千曲川も遠くを流れ、農地とバイパス道路の近くにこの碑が建っている。
少しお歳を召された方が目をつぶり、朗々と詩吟「川中島」の一節を吟ずるのを聞いたことがある。歴史が好きな方の頭の中には、音を立てずに川を渡る武将や兵の姿がイメージされているのだろう。
近くの松代には、この戦いで討ち死にした武田信玄の参謀「山本勘助」の墓もある。(土屋)
長野県では例年4月の初旬ころから満開のニュースが流れることが多いが、今年の開花はずいぶん早いと思う。
昔は、試験の発表をわざわざ学校まで見に行って「桜咲く」という電報で連絡するのをよく聞いたが、今はインターネットでの発表があるそうで隔世の感だ。
しかし、「桜」という名前のつく歌は、別れと出会いの季節を、言葉をつむいで情緒豊かに歌うものが多く、今でもヒット曲が多く生まれるのは、日本に住む者の感性が枯れていない証拠とも思う。(土屋)
写真のオウバイは中国原産でモクセイ科の落葉低木だが、バラ科の梅にも本当に「黄梅」という名前のものがあるという。オウバイは、梅と同様に周りに花が少ない3月頃から黄色の花を咲かせることから名づけられ、ゲイシュンカ(迎春花)とも言われるとのこと。
ウソか誠か、春に咲く花に黄色が多いのは、ミツバチが認識しやすいからといった説を聞いたことがあるが、子どものころ、この花のガクのところを吸うと甘い蜜の味がするので、摘んでは吸ったものだ。確かに福寿草やレンギョウ、スイセンなど早春に咲く花には黄色が多いようにも思う。
花が咲き出すのを見ると、信州の春ももうそこまで来ている気がする。(土屋)
中でも、桃の節句でよく使われている写真や映像を見ると、緋毛氈(ひもうせん)の段々に並んだ雛飾りが女性の情緒性を感じさせて雅やかだ。
お菓子にも、菱餅、雛あられ、甘酒と定番があって、とても美味しそうである。
疑問に思っていたお内裏様とお雛様の飾り方には、京雛と関東雛とか、古式と現代式があって、位置は左右どちらでも良いらしい。
長野県内では、須坂市が市を挙げて雛祭りのイベントを毎年行っており、「豪商の館・田中本家博物館」や「世界の民族人形博物館」の雛人形などは一見の価値があるとか。(土屋)
粉雪などと違い、六花とも呼ばれて羽を広げたような形のせいかフワフワと風に流されながら舞い降りてくる。
マイナス何十度の世界の高空で、温度などの条件が揃って初めて六角形の結晶ができるのだろう。
本当は氷だから無色透明なのだが、光の反射で白く見えるのだとか。ホッと吐いた息で萎むように融けてしまうはかなさも魅力的だ。(土屋)
昼夜の寒暖の差が激しい日が続くと、太く長く伸びるらしい。
子どものころはよく口に入れたりしたが、今では透き通った外見と裏腹に大気汚染物質が濃縮されているような気がしてならない。
氷柱は上から下へ下がっていくが、反対に、滴り落ちる水滴が下から凍りついて上に伸びていくのは氷筍(ひょうじゅん)と言うとのこと。不純物が少ないのでスケートリンクの高速化につながり、長野オリンピックのMウェーブでも輪切りにしたものが敷き詰められたと聞いた。
県内では、木曽町の白川氷柱群や北相木村の三滝山など、氷柱が観光名所になっているところもある。(土屋)
サラサラの雪は雪遊びにはあまり向かないが、今回の雪は少し湿り気があって固めやすく、子ども達も時間を忘れて遊んでいた。
小さな雪玉をゴロゴロと回転させて大きな玉にし、二つ作ったら、小さな片方を大きな玉の上に乗せて形を整える。表面に土がついたところから早く融けると教えたら、化粧のように上から雪で覆い隠していた。一日二日は形を保っていたが、冬でも暖かい日が続いて写真の通り変形してしまった。作るときはあれだけ熱心だったのに、子ども達も見向きもしない雪だるまはなんだか寂しそうに見える。
雪だるまは洋の東西を問わずあって、外国の「スノーマン」は三段重ねでマフラーを巻いていたりする。(土屋)
自分の親の世代は、ハレの日の食べ物だということで29日(苦につながる)には絶対搗かないと言い、その前後の日に搗いた。ここ数年は3臼だけ搗いているが、近所でも本当に見かけなくなった。
臼に入れたもち米をこねて、押しつぶすところを手早く念入りにやらないと、良い餅にならない。この「こね方」を息子や甥っ子に教えようとして時間が掛り過ぎ、ひと臼ダメにしてしまったこともある。
子ども達も今では、良い音をさせて搗くようになった。
蒸された餅米は本当に美味しくて、餅を搗く前にたくさん食べて怒られたことを毎回思い出す。(土屋)
クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝う行事とされ、サンタクロースがトナカイにそりをひかせて家々を回って子供たちにプレゼントを配るといわれている。
キリスト教徒でもないのに、うちの子ども達も楽しみにしているのだから、経済的にも日本文化としてしっかり根付いているし、明治後期から日本の西洋化の推進の中で人々の間に急速に広まったのだという。
クリスマスを英語で書くと「Christ(キリスト)」の「mass(ミサ)」だとして12月25日のお祝いだが、「サンタクロース」の名前で知られる「聖(セント)ニコラウス司教」の祝日は実は12月6日だそうだ。聖ニコラウスがオランダ訛りでサンタクロースという呼び方になったとか。(土屋)
茨城県では普通のアンコウ鍋ではなく、アンコウから出る水分で味噌とともに身や野菜を煮込む食べ方の「どぶ汁」が有名。
アン肝と味噌がからまった濃厚な汁の鍋はとてもおいしいが、鍋をいただいた後にご飯を入れた雑炊が天下一品なのだ。お腹がいっぱいでも、鍋の底をお玉で何度もすくってしまうほど最高の味。
不気味な姿の深海魚が、伝統の解体法の「吊るし切り」でさばかれるのを見るのも一興。体の温まる鍋の季節が到来した。(土屋)
秋の空で高いところにできる雲には色々な名前がついていて、調べるとどれも巻積雲(絹積雲:けんせきうん)の俗称だという。
小さなかたまりの雲が鯖(さば)の背中の模様のような波状のものや、鰯(いわし)の群れのようなもの、魚の鱗(うろこ)に似ているものなど、見え方から名前がついたのだろう。
ちなみに、これらの雲は低気圧が近ずくと出来、やがて天気が崩れて雨がふるといわれているそうだ。
晴れ晴れとした空の高いところに見える雲を見上げると、深呼吸したくなる。(土屋)
まわりの緑の山々が、頂のほうから麓へとなだらかに黄色や赤の色づきが広がっている。
平地でも一気に鮮やかな赤・黄に葉っぱが見ごろとなり、散り始めた木々も多い。
「紅葉狩り」という言葉は、自然を愛で、草花を眺めることを「狩」とつけた、いにしえの時代の富裕層の粋(いき)の世界からのものと思うが、日本の言葉づくりの豊かさを感じる。同じ「紅葉狩」でも、平安時代中期の平維茂(たいらのこれもち)の英雄譚として能などで演じられることも多い、戸隠・鬼無里の鬼女紅葉伝説は有名。。今は長野市となった鬼無里には京に由来する地名が多く、都人が流されていたというのもうなずける自然豊かな良いところだ。水芭蕉の咲くころにまた訪れてみたいと思う。(土屋)
アキアカネというトンボの名前だけは覚えているが、赤い色の濃さも個体差だろうと思っていた。捕まえてよくよく見たり、調べなければ赤トンボに何種類もいるなんてわからないと思う。ましてや、捕まえていたのは子どものころのこと。何かにとまっているトンボの正面で指をぐるぐる回すおなじみのやり方で捕り、指と指の間に羽を挟んで左手に4匹、右手に数匹と友達に見せびらかしたものだ。
トンボの数え方については、専門家は1頭2頭と数えるらしいが、1匹2匹も正しいとのこと。
「夕焼け小焼けの赤トンボ…」の歌い出しで有名な童謡「赤トンボ」は、三木露風が大正時代に詞を書き、山田耕筰が昭和2年に曲をつけたという。この歌が時を超えて愛され続けているのは、秋という季節にぴったりとマッチして私たちの琴線に触れるからなのだろう。(土屋)
「石榴」は、西南アジア原産のざくろ科の落葉小高木で、日本へは10~11世紀頃渡来したという。
今から40年も前、隣家の道路端に石榴の古木があって、熟すと毎年おすそ分けをいただいた。当時では珍しく甘い品種で、外皮から割れて見える実は宝石のように美しくて大好きだった。しかし、食べる部分はあまりなく、口の中で押しつぶすと種だけがたくさん残る。
6月ごろに咲く花も朱色をしていて独特な雰囲気が印象に強い。「紅一点」の語源の木だとか。(土屋)
「木育(もくいく)」という言葉にも初めて出会った。
考えてみれば、日本は国土の7割を森林や占めており、森は私たちの生活につながり、木の柔らかさや温かみが子ども達の心の育成に大きく携わってきたのだと思う。
近海漁業を営む人たちが、川の上流の植林に力を入れているのは有名な話だし、外材をあたり前のように消費して自国の森を荒廃させてきた政策の転換が叫ばれるのも必然だと思う。「木育」は環境の問題・食の問題・人間形成といった多面的な学びが出来るとのこと。
木の昆虫をひっくり返してみて、足は体のどこから出ているか?何本だったか?一瞬考えてしまう自分がいた。「木育」が広まって欲しいと思う。(土屋)
毒々しい血の色のような赤と、帯状にくねくね波打つ様子が子どものころから薄気味悪い印象を持っていた。
年月とともに、ビロードのような柔らかい感じが美しいと感じるようになって不思議だ。
鶏頭は、熱帯アジアが原産のヒユ科の一年草とのことで、黄色い色違いの花は知っていたが、花の色やかたちなど様々な種類があることがわかった。
最近良く見かけるウモウゲイトウ(羽毛鶏頭)などは、特にかわいらしい。(土屋)
上田市塩田地区はため池が多い。
ハスは、沼や池などに生育する多年生の植物で、観賞用やレンコン(蓮根・ハスネとも言う)を収穫するために作られている。ハスの名前は、果実がハチの巣状であるので、蜂巣(はちす)と呼ばれたものが変化したという。原産地はインドと言われ、仏像はハスの花(蓮華)の台座に立ったり座ったりしていることが多いように、仏教と関係が深い。
実の皮が厚いので長期間土の中で発芽能力を保つことができるといい、昭和26年(1951年)に発掘され、大賀一郎理学博士が発芽させた有名なハス(大賀ハス)の実は、弥生時代後期のものとされているし、800年ぶりに発芽に成功した中尊寺ハスや、埼玉県行田市でおよそ1400年から3000年前のものが発芽した例(行田蓮)もある。花言葉は「雄弁」(土屋)
漢字で読むとおり、9月の終わりごろまで約3ヶ月も次々と花をつけるため咲き続けているように見える夏の代表的な花。
呼び方と漢字が違っていて、雑学クイズに出そうな名前は印象的で、子どものころから覚えていた木だ。樹皮が無いように見えることや、木の肌をくすぐったり、なでると木の枝をゆらすといった昔話があることから、別名では「わらいのき」「くすぐりのき」の呼び方もあるとか。
フリルのようにしわしわの縁の花は、赤(紅)やピンクや白があり、花言葉は「敬愛、潔白」「雄弁」など。(土屋)
「しそ」と言えば、香味野菜として人気の高い「青紫蘇:大葉(おおば)」と、梅干などの色付けに使われる「赤紫蘇」がポピュラーだ。
しそ科の一年草で、ヒマラヤ、中国などが原産といわれる。写真の青紫蘇は、葉を摘んでも、どんどん伸びてくれてうれしい野菜だ。
刺身のつま、そうめんの薬味、葉っぱのてんぷらなどに良く使われる。制菌作用に優れ、食中毒を防ぐとともに生臭さも取れるという効能は、和風ハーブの代表格だと思う。
赤紫蘇を見ると、コープ商品を配達していたころ、組合員さんがごちそうしてくれたワイン色のシソジュース(クエン酸入り)が美味しかったのを思い出す。(土屋)
遠目に、花も葉っぱもソバなのに、なんでピンク色?と思わず車を停めてデジカメ撮影。
箕輪町のホームページには「赤そばの里」としての紹介と、赤そばの由来などが説明されている。
撮影した場所は「赤そばの里」ではないし、薄いピンク色だけれど、ヒマラヤ原産の赤いソバから改良された「高嶺ルビー」かもしれないと思うとちょっぴり感激した。「赤そばの里」は、夏ソバではなく9月ごろに秋ソバとして「高嶺ルビー」の花を広く一面に咲かせて美しいらしい。
秋になったら伊那高原のピンクのじゅうたんを見に行こうと思う。(土屋)
直径5、6センチを超える大きさにびっくりした上、その甘さにも驚いた。実家にあるあんずの木は80年以上の老木で、実が山のように取れるが小粒でとにかく酸っぱい。
杏(あんず)はバラ科サクラ属で、原産地は中国とのこと。県内では千曲市森のあんずが「一目10万本」として花の季節には観光客が押し寄せるほどの人気スポットだ。また、りんごと同じで、青森県のほうが出荷量が多く、長野県は全国2位だとか。
40年も前、祖母が酸っぱいあんずを砂糖漬けにしてくれたことと、種を日干しして薬問屋に売っていたことを思い出した。(土屋)
豊年エビは2センチほどの体長で、甲殻網無甲目ホウネンエビ科に属するとのこと。
ここにいるよと言われて覗き込んでも一瞬ではわからず、目を凝らしてようやく見つけることができた。遠目には、エビというよりメダカのようにも見える。
子どものころ、カブトエビは良く見かけたが、豊年エビを見るのは初めてだ。大発生すると豊作になると言われるそうで、農家にとっては縁起の良い生物だろう。
雪の少ない冬だったので、夏場の水不足などを心配していたが、豊年エビが元気に泳ぎ回るのを見たら、大丈夫かなという感じがしてきた。(土屋)
5月から7月はじめにかけて長さ20センチにもなる花がわんさか咲くが、匂いが苦手という人も多い。全国で栗の産地と言えば兵庫県の「丹波」が有名だが、生産量では茨城県が日本一とか。県内では、小布施町の名産品として有名で、江戸時代には幕府への献上品となっていたらしい。
今の小布施は、栗菓子など栗に関する商品と「葛飾北斎」で観光客が大勢訪れる歴史・文化の町として有名だ。分限者だった高井鴻山(こうざん)が幕末期に北斎や佐久間象山など文人墨客を多数招いていたという。美味しい栗を食べ、北斎の天井絵や鴻山の妖怪画、佐久間象山・勝海舟が揮毫した幟などを、「悠然」とした気落ちで味わいたいものである。(土屋)
作り方を見ていると、鋳物の型に小麦粉を中心としたタネを流し、アンを入れて程よい時間で左右の型を合わせて焼き上げている。
聞くところでは、たい焼きの場合、一本の型で一個一個を焼くのを天然物、何個かいっぺんに焼ける型で作るのを養殖物と言うことがあるそうで、なるほどと思った。
昔、尻尾まであんこが入っているということで評判になった店があったが、今では小豆餡だけではなく、クリームやうぐいすあん、抹茶あんなどのほか、なんとチョコバナナやアイスクリームまであって、遠方まで買いに行く人もいるとか。
渋めのお茶と甘い「たい焼き」でホッと一息つけられるのは小さな贅沢かな。(土屋)
「薔薇」はバラ科バラ属の落葉または常緑の低木。一般的に5月から6月が花の最盛期で、近所のそこかしこから甘い香りが漂ってくる。
バラについて調べようとしても、大輪の花の薔薇、ミニ薔薇、つる薔薇など種類もたくさんあり、薀蓄も含めてあまりに奥深くてびっくりした。
バラは花言葉もたくさんあり、内気な恥ずかしさ、輝かしい、愛嬌、新鮮、斬新、私はあなたを愛する、美、あなたのすべてはかわいらしい、愛情、気まぐれな美しさ、無邪気、爽やかなどなど。現在、中野市の一本木公園では「バラまつり」が開催中で、530種、1000株以上のバラが咲き誇るとのこと。行ってみたい。(土屋)
いったい「カバン」て何なのだろうと碑を読むと、明治13年(今から129年前)に当時の銀行員が郷里の南佐久から苗を「鞄(カバン)」に入れて運び、銀行の本店に植えたことからついた愛称と書いてある。その後、この史跡公園に移植されたとも。
3本の藤の木が広い藤棚いっぱいに枝を広げ、盛りをかなり過ぎていたが、長い花房に見事さが伺えた。古い話は民話になっていたり、新しいものも幾年月のうちにいわれとして伝わるようになるのだろう。各地の銘木を訪ねるのも、おもしろいかもしれない。(土屋)
ユリ科スズラン属に属する多年草で、鈴のような小さな白い花をたくさんつける。
北海道を代表する花として知られるが、長野県では富士見町、南牧村の花となっている。
知らなかったがスズランは毒草で、特に花は心臓に強く働く毒があるそうだ。
花言葉は「幸せの再来」。花を贈られた人は幸せになるという。(土屋)
長野県生協連の事務所のそばに、今が盛りと紫の花が咲いている。
「何れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」の言葉どおり、見分けるのが難しいと言われるので調べてみた。「あやめ」「かきつばた」の順番で咲き、乾燥した地面で育つことと、写真のように垂れ下がる花びらの弁元に黄色と紫の綾目(あやめ)模様があるのが「あやめ」。湿地を好み、花弁元から白や黄色の切り込みのようなスジがついているのが「かきつばた」らしい。
ちなみに、「あやめ」の学名アイリスはギリシャ神話の虹の女神の名前で、「虹」を意味するとか。(土屋)
桃の濃いピンクの花が終わって2週間、庭の草木や果樹の花も次から次へと咲いていく。
りんごの花や実を見ると、祖父母と過ごした生活からか、戦後すぐに大ヒットした「リンゴの唄」(並木路子、作詞:サトウハチロー)や、「リンゴ追分」(美空ひばり)など古きよき?時代の歌をなぜか口ずさんでいて、自分で驚く時がある。
飯田市には、1947年の大火(中心市街の約7割が焼失)の後に、飯田東中学の生徒が発案して、防火帯道路の真ん中の緑地帯へ植えた、全国的にも有名な「りんご並木」がある。60年近く前に、実の盗難や駐車場問題などの困難を乗り越え、生徒達が取り組んだりんごの植樹による街づくりの話は感動的だ。(土屋)
名前の由来は、同種に「すずめのエンドウ」があり、植物などはすずめより大きめのものに「からす」と名付けることが多いからとか、豆のサヤが熟すと黒くなるので付いたとか諸説ある。
子どものころ、このカラスノエンドウの豆が黒くなる前に、豆サヤで笛を作って鳴らしたものだ。鳴らす音からか、通称「シビビィ」と呼んでいた。豆のサヤのヘタの方の3分の1ぐらいを捨ててしまい、残りを魚の開きのように開いて種を取り、中に付いているワタを爪でしごいてつるつるにして元に戻し、パイプ状にして口の中に入れて鳴らすのだ。
今の子ども達はできるかな。花言葉は小さな恋人達とのこと。(土屋)
一昨年、ホームセンターで買った1株の苗から20株もの子株が育ち、昨年はその中から良さそうな子株だけ選んで植え替えた3代目の「豊の香」だ。
苺は、バラ科の宿根草とのことで、厳密に言えばトマトやナスの仲間だとか。イチゴのブランド化もすすんで、栃乙女、章姫、幸の香、あまおう、女峰、宝交など、日本では年間20万トンも生産されているという。
少し小さめでも、真っ赤に熟れた美味しい苺が生ることを祈って、毎朝水遣りを日課にしたい。(土屋)
中国原産のバラ科の木で、食べられる赤い実が6月過ぎごろに生るのが楽しみだ。江戸時代から栽培されていて、全国で広く植えられているという。
子どものころは「にわ梅」と呼んでいたが、「ゆすら梅」のほうが響きが良い感じがする。小さな葉っぱには、密毛が生えていて独特の手触りが懐かしい。なぜか昨年、鈴なりになった赤い実をコップに一杯取って、井戸水で水洗いして生食したことを思い出し、庭の片隅に植えたものだ。実の食べごろは、鳥たちと競争かもしれない。(土屋)
雨粒に混じって、降ったものだろう。今朝も、太陽が霞んでいるのは春霞というより黄砂のせいではないかと疑ってしまった。
子どものころ、黄砂と聞くとロマンティックな自然現象で長野県には無縁のものと思っていた。今では、ニュースなどで中国内陸奥地の森林減少や砂漠化といった理由も挙げられているし、日本に到達する日数が大幅に増えているとのこと。洗濯物が外に干せないとか、空気中の大気汚染物質が混ざっているとも聞いて、厄介者扱いだ。長野県にも黄砂の観測点が2箇所あるとラジオで言っていて身近になっているのだと改めて思う。
経済だけでなく、環境問題も国際的な協調を強めて解決していかなければならない問題だろう。インターネットで調べると、実際に植林のボランティアをしている日本のNGO組織や企業がたくさんある。現地へは行けないにしても、何かできることがないか調べてみよう。(土屋)
ウィルスの増殖を防ぐ薬としてタミフルとリレンザという2種類の薬があることは聞いていたが、リレンザが吸入式の機械で吸い込む薬とは知らなかった。副作用のニュースで割と有名になったタミフル(飲み薬)だが、耐性ウィルスが出てきたため、このリレンザ(吸入薬)がたくさん使われるようになってきたらしい。
新型インフルエンザの爆発的な流行が懸念される中、医療や農業の分野で薬と耐性ウィルス・病気などの追いかけっこの話を耳にすると、自然の強さと人間の弱さや強さを感じてしまうこのごろです。(土屋)
線路が道路上にもあって自動車と併走するところがあったり、普段は1両だが観光シーズンには2両編成に増発されるとのこと。
コトコトと、民家の脇などをゆったりと走る電車をみると、市民の足でありながら古都に調和して文化にもなっている様子がわかる。修学旅行で京都に来たときは街中に市電が走っていたが、今では廃止されて長いとも知った。
近くの東映太秦映画村には、明治時代の京都の市電車両(復元)もあり、前部にバスケットが付いていて車両の比較が良くできる。(写真・下)この古い車両を見て、国語の教科書で読んだ話を思い出した。市電に引かれそうになった子供を青年がバスケットから助け上げた話だ。びっくりした子供が粗相をした生成りのシャツを脱ぎ、なんでもないことのように拭く青年に、夏の暑い車内が爽やかになったというような話だった。題名は思い出せない。(土屋)
前の日、車の中からも梅が見え、群馬県でももう梅が咲いていると聞き、早い春の訪れを感じた。長野県でもこの分では例年より早い開花が見られるのではないだろうか。
梅は百花に先駆けて咲き、桜などに比べ休眠が浅いために開花時期が天候によって大きく左右されるそうだ。高温・適湿・多照の年は開花時期が早まり、乾燥の激しい年や気温の低い年はやや遅くなる。寒い中、いち早く春の訪れを知らせる梅の花は、1月下旬~5月上旬まで、約3ヶ月間かけて、ゆっくりと日本列島を北上するという。
今回見学した「コープ袋井田町店」(袋井市)は、環境配慮型店舗のモデルとして位置づけられていて、駐車場に設置した太陽光発電パネルの電気から作った氷で冷蔵ケースを冷やし、照明に発光ダイオード(LED)を使用するなど様々な工夫がされていた。
極端な暖かさにも温暖化の影響が現れている気がする。省エネ、CO2削減は待ったなしだ。(小松)
標高2568メートルの活火山で、2月2日(月)の未明にも噴火し、火山灰が東京まで飛んだと聞いた。 写真の浅間山は、夕刻に噴煙(水蒸気?)をなびかせる2月10日のもの。子どものころから浅間山の噴火を時々見たり、県歌「信濃の国」でも「浅間はことに活火山」と歌って、被害さえなければ親しみを感じる山である。コープながのコープデリ佐久センター(御代田町)からも、雄大な浅間山が一望できて壮観だ。
今から98年前の明治44年に、日本で初めての火山観測所が浅間山にでき、それから測候所や研究所が火山災害に備えて火山活動のデータを継続して収集しているとか。
小諸市や群馬県の嬬恋村などは、火山灰の黒土によるキャベツ・じゃがいもといった野菜の栽培が盛んだが、土の利用では県営上田野球場(上田市)のグラウンドが浅間山の黒土と化粧砂を混ぜて作られており、高校野球の会場に当たったときは水はけが良いので、梅雨時など好評なのだそうだ。
ちなみに、休火山と習ったはずの富士山が活火山だなんて、年がバレるけど、いつから?(土屋)
直径1センチほどの小さなポンポンみたいな花で本来は夏に咲く。ブラジル原産のマメ科で、日本では外植えだと一年草扱いだとか。
オジギソウを漢字で書くと「含羞草」という素敵な字を当て、別名をネムリグサ(眠り草)とも言うとのこと。葉を閉じる姿から付けられた名前と思うが、子供のころ、間をおかずに何度も触って母親に叱られた記憶がある。
この冬、部屋に入れてみて初めて知ったのは、夜になると葉を閉じ、朝になると葉を開くということ。花言葉は「感じやすい心、デリケートな感性、敏感、謙虚、失望」(土屋)
名前は「千曲天狗」といい、周辺地域の修験者によると思われる天狗伝説にちなんで作られたという。天狗と聞くと、日本の民話に良く出てくる、鼻が長く、赤ら顔、山伏の装束に身を包んで八手のような葉団扇を持ち、一本歯の高下駄を履いた、この写真のような姿を思い出す。善い天狗と悪い天狗または同じ天狗でも善悪両面を持つ天狗がいて、彦一のとんち話や鞍馬山で牛若丸の剣術修行にも登場するなど、物語や庶民信仰の対象でもある。
こんな時代だからこそ、その葉団扇でひと吹き、世の中の不安や不況を一掃させて欲しいと思った。
ちなみに、この公園は高台にあり、千曲川をはさむ町並みの眺望がすばらしく、公園に植えられた桜が咲くころは、花見見物に大勢の方で賑わうという。(土屋)
線や文字が刻まれ中央から突起物が出た丸い円盤で、校庭の片隅のコンクリート台座の上に設置されている。晴れた日なら、影を利用して時間がわかる。この突起物の角度を、日時計の設置住所の緯度の角度と合わせると、誤差の少ない日時計になるとのこと。県内では、諏訪湖の湖畔公園には巨大なステンレス製の日時計がある。
また、日時計は西洋のものという感じがある。日本の時代小説では、江戸時代など市井の人々が主人公の場合、お寺の鐘が時間を教えてくれるものとして描かれている。調べると、日の出から日の入りまでを6等分していたので、夏と冬では昼間の時間がかなり違っていたらしい。明るいうちは働き、暗くなったら眠るという自然に即した時間管理なのだ。生活のリズムが自然に即していたほうが人間らしいと思うのはいけないことかな。(土屋)
白い雪景色の中にポツポツと動物の足跡が続いていて、夜の間に食事へ出かけた後かな、寝ぐらに帰る途中だったのかなと、想像してニヤニヤしてしまう。足跡の形や歩き方を調べ、そこから動物の種類や生態を調べたりすることを「アニマル・トラッキング」といい、雪だけでなく砂や土の上の足跡や糞などの痕跡からも観察する学問だとのこと。とっても、おもしろそうだ。
写真の足跡は、後ろ足が長くて大きく前足がちょこんと小さいので野ウサギだと思う。月明りの夜の林を、白く換毛したウサギが、時々立ち止まっては耳を立て、あたりを注意深く見回しながら、食べ物を探しながら歩き回っていたのかも。厳しい冬も始まったばかりです。(土屋)
時々手でもんでやりながら、約1ヶ月天然乾燥させると、やわらかく美味しくなると聞いた。
長野県を代表する干し柿としては、下伊那郡高森町市田の市田柿が有名。南信州の伝統食で、正月の祝席の縁起物として食べられるとも。
甘柿で作る干し柿もあるらしいが、実家では渋柿の皮を剥いて寒風にさらし、ゆっくりと渋味を抜いていた。炬燵に入りながら、白い粉(ブドウ糖)がふいたアメ色の干し柿を食べたのを思い出す。今となると、甘みの濃い上品な風味だと思うが、昔は単なるお茶請けやおやつだった。先般ご承知の「柿が赤くなれば、医者が青くなる」という言葉。ビタミンCの他、カロチン、食物繊維、ミネラルなどを多く含む柿を、年末年始シーズンの健康維持のために食すのも最適だと思う。(土屋)
二番穂と言うらしい。暖かい地方では、早く稲を刈り取ると二番穂が実ってお米が成るという。小学生のころ、四国とか九州でお米が年に2度採れることを学んだ。二期作と二番穂では意味が違うが、二番穂が実っても、今では減反政策によってお米としての流通はないのじゃないかな。飼料にするか、田んぼに漉き込むという話を聞いた。
切り株をザクッと踏む感触が懐かしかったが、刈り取られても新しい芽を出す稲の前向きというか植物の生命力のすごさを改めて感じさせられた。(土屋)
小学校などの校門の脇で見かけることも多いが、寸暇も惜しみ勉強して偉人になったということしか知らなかった。
二宮金次郎は、神奈川県小田原の没落した農家で生まれ育ったという。貧しさを糧とし、夜明け前から山で薪を拾って売り、昼間は田畑を耕し、夜はわらじを作りながら時間を割いて勉強をし、若干二十歳で二宮家を再興した。そのことから奉公先の服部家、さらには小田原藩などたくさんの自治体の財政再建を任されたとのこと。明治・大正・昭和の戦前までは、道徳教育の象徴として政治的に利用され、全国の学校に立てられた。
戦後は二宮尊徳の本来の思想であり一種の組合運動でもある「報徳」の思想から設置されたものが多いと聞く。報徳の思想は、人々の徳が徳によって報われ、経済的にも精神的にも豊かに暮らすことができるという社会づくりを説いている。
ちなみに、少年金次郎の読んでいる本は、「論語」とか「大学」といった中国の古書らしい。(土屋)
オオシラヒゲソウは、雪ノ下科の植物で参道脇の小川のそばに群生してちょうど花を咲かせていた。
その名の通り、花弁の周りにレース飾りのように白いもじゃもじゃがたくさんあって、おもしろい形の花だ。カラスウリの花にもちょっと似ている。
戸隠は、秋が駆け足で近づいてきていて、花の咲く植物もほとんど葉ばかりになり、紅葉の時期まであとわずかという気配だった。参道には栃の実の殻ばかりが散らばっていたが、中の実は人の来ない夜のうちに動物達が持っていくのだろうか。
大勢の家族連れ、団体の参拝客が思い思いの速度で参道を行き来していたが、この道は癒しの空間になっているのだろうと思う。歩く人々の穏やかな顔を見て、ブームになりつつある「巡礼の旅」の一端を垣間見た気がした。(土屋)
かぼちゃはアメリカ大陸が原産で、名前の由来はご存知の通り、江戸時代にカンボジアから渡来していることから来ているとのこと。その当時に伝わったのが「日本かぼちゃ」で、しょうゆなど日本料理に合う味だとか。40年ほど前から「西洋かぼちゃ」といわれるかぼちゃが日本でたくさん作られるようになった。唖然としたのは、露地物ばかりと思っていた日本で販売されるかぼちゃの半分が、今では輸入物とのことだ。父親からは、戦争中の食糧難の時はかぼちゃばかり食べていたという話を聞いている。栄養価も高く、煮物にしてもてんぷらにしても美味しい味だ。(土屋)
しかし、近くに寄れば、清楚な花の形に似合わずニラの強烈な匂いがする。
ニラはユリ科ネギ属の多年草で、日本での栽培は9~10世紀ごろからと言われ、古事記や日本書紀にも記述があるという。
庭のニラの葉を刈って料理に使っても、新しい葉がどんどん伸びて何度も使えるので丈夫な植物だと思う。人には臭く感じる匂いも、昆虫にはかぐわしい香りなのか、アリや蝶などが花に群がっている。人が元気になるように、昆虫にとっても二ラの花の蜜は、他の花の蜜より元気が出るのだろうか。虫も夏バテだったりして。(土屋)
幼虫が黒い成体になった8月の初めごろから鳴き出した。暗い廊下の隅で飼っているからか、日中もよく鳴いて、「リィーーーーン、リィーーーーン」と鈴をふるわすような音色が響くと、暑さが和らぐ気がした。
鈴虫は、日本原産の昆虫だそうで、北海道以外の日本各地に生息しているとのこと。鈴虫の成虫の羽は飛ぶために使われず、雄の羽は鳴くことだけに使われるそうだ。
市販の「鈴虫のエサ」とキュウリやナスを与えていたが、お気に入りはズッキーニらしい。
このごろのように朝晩涼しくなり、短い寿命の虫が精一杯の演奏をしているのを聴くと、しみじみと秋の気配を感じる。(土屋)
虫が余りつかなくて、消毒をしなくて大丈夫だから確かに手間はかからない。ブルーベリーは、北アメリカ原産でツツジ科スノキ属の落葉果樹でたくさんの種類がある。
樹の高さが小さいから狭い庭でも植えられるが、違う種類の木を植えないとうまく実がならないと言われていて、うちにも3年目の2種類が植わっている。
7月から8月にかけてつける実の直径は、1cm~2cm程の球形で濃い青色というか黒に近い色に色づく。かじると皮と違って実の中身は色が薄く、完熟した実はさっぱりした甘さが美味しい。このごろは、実に含まれるアントシアニンが目の働きを助けるとか、ポリフェノールによる抗酸化作用が老化防止になるなどの宣伝が広がって、老眼が進んできた身には大変興味のある果実である。(土屋)
5時に伊那文化会館の駐車場からシャトルバスで、市役所へ。市役所の駐車場はたくさんの出店で賑わっていました。
市役所脇の天竜川の堤防の上には早くも見物のシートが所狭しと並んでいました。ようやく空いている場所をみつけてシートを広げ、陣取りをして腹ごしらえにイベント広場に出かけました。五平餅やローメンでおなかを満たし、待つこと1時間半、ようやく花火が始まりました。
あいにく、メインの打ち上げ場所方向に大きな樹があり、スターマインなど低い花火が良く見えませんでしたが、10号玉はよくみえました。迫力があったのは、市役所脇の天竜川の中州から打ち上げられたスターマインと音楽花火でした。
クラシック音楽(「天国と地獄」ほか)にのって打ち上げられる花火はとてもファンタジックでした。(小松)
球形のほかに楕円形、卵型など、形も味も様々だ。トマトはナス科ナス属の緑黄色野菜の一種で、日本には江戸時代に観賞用として長崎に伝わったという。
大きさで分類すると大玉・中玉・ミニトマトとあるが、トマトは野菜か、フルーツかといった議論では、アメリカの最高裁判所で争われたというのを聞いて驚く。結果は野菜とのこと。
トマトはビタミンCを多く含み、特に赤系トマトは、1995年にがん予防の効果(抗酸化作用)が指摘されるリコピンを多量に含んでいることでも有名になった。それもあってか、家庭で購入する野菜のベスト5ぐらいにランクされているという。
トマトが、遺伝子組み換え野菜の第1号になったと知って、筑波で科学万博(つくば博、1985年)が開催された時、地面の上ではトマトが実り、地面の下ではジャガイモが出来る「ポマト」が出展されたのを思い出した。(土屋)
大人たちが「御輿(みこし)」を組み立てて担ぎ棒に紅白の布を巻き、区内の子ども達が担ぐのである。
町内にはいくつもの区があり、町中の「子どもみこし」が集まって、真夏日の暑さも吹き飛ばす掛け声の威勢良さだ。おみこしを担ぐ子、大きな祭りうちわを仰ぐ子、歳の小さな子は御輿から伸びる紅白の綱を持って、「わっしょい、わっしょい」と声を出す。
祭りは、村や町で五穀豊穣や無病息災などを季節季節で願ったり祈ったりし、人と地域の濃密なコミニュケーションを作ってきたのだと思う。ひたすら疲れたが、子ども達の笑顔を見ることができたのと、同じ区内の親と話す機会ができて大変良い一日となった。(土屋)
じゃがいもは、保存がきいて煮ものなどの和食からサラダ、ポテトフライなど料理全般に使われるナス科ナス属のおなじみの食べ物。江戸時代にオランダ人によって長崎に持ち込まれた時、ジャカルタ(インドネシアの首都)がなまってジャガイモと呼ばれるようになったいわれは、多くの人が覚えている話だ。
明治期の北海道の開拓が盛んだったころ、函館の川田男爵という人がアメリカから導入して広めた「男爵薯(だんしゃくいも)」と呼ばれる種類が今でも多く生産されているという。
じゃがいもの栄養価は高く、たくさん含まれているビタミンCは、でんぷんに包まれているため熱にも壊れにくいとのこと。また、ビタミンB1、B6も含み、ミネラルではカリウムや鉄を含んでいるほか、食物繊維も豊富で、ドイツやロシアなどでは日本の米のように主食だとか。(土屋)
夏の風物詩として観賞用に育てている人も多い。ムクロジ科のつる性1年草で、原産地の熱帯では多年草とのこと。
夏の暑さの中で、ほうずきに似た緑色の風船のような実が揺れると涼しげに見える。秋になると殆んどの実は茶色くなり、茶花として珍重されるという。指で実を押すとポンと音がして割れ、中には小さな黒っぽいところに白いハート型の模様が入った種が出てくる。花言葉は、「ふくらむ夢」「多忙」(土屋)
長野県でもビワを植えている家は多く、ほうっておくと7~8mの大きさに成長するという。バラ科の常緑高木で中国原産。実はもちろん美味しいが、葉に薬用成分が多いとのことで、最近では美容・健康にお茶などのコマーシャルが目立つように思う。
つるっと皮をむいて、果汁したたる実を口に入れると自然な甘みが広がる。意外と種が大きく、土に埋めてほうっておくとすぐに芽が出てくるほど強い植物だ。おりしも、洞爺湖サミットの最中だが、温暖化によってリンゴ栽培が高地化したり、ビワが日本の中部以北でも栽培されるようになったりするのはゴメンだ。(土屋)
シロツメクサはマメ科の多年草で、ヨーロッパ原産の帰化植物とのこと。近所の子ども達や幼児を連れたお母さんが、昔と変わらず公園で幸せの四葉を探していたりする。学校で飼っていたウサギにあげると喜んで食べていたのを思い出した。
ちょうど西洋ミツバチ(と思われる)が蜜を集めていて、接写したがおとなしい蜂だった。「働き蜂」は全部メスとのこと。ハチの社会は女王蜂を頂く女系で、雄蜂のことは英名でDRONEと呼び、「なまけ者・ごくつぶし」などの意味があると聞いて笑ってしまった。シロツメクサの花言葉は、幸運、復讐心、約束など。
蜂といえば、長野県内では中川村で「日本みつばち祭り」を行っているとのこと。また、蜜蜂とは違うが、地蜂(蜂の子)捕りなどの自然と子どもたちの成長を描いた映画「こむぎいろの天使~すがれ追い~」も南信の上伊那地方のお話で、観た方も多いと思う。(土屋)
夏の高原の白樺林を吹く風と表現すれば、清らかで風情を感じさせるものがある。かばのき科の落葉樹で、長野県の県木に指定されてもいるほか、立科町、富士見町などでも町の木となっている。
昔は木の材質から、爪楊枝やアイスクリームのヘラ、アイスキャンディーの棒などにも使われてきたというが、最近では、白樺を中心としたカバノキの樹液を原料としたキシリトールが、チューイングガムに使われるようになって有名になった。欧米では春先に幹に穴を開け樹液を採取するそうだ。
白樺、青空と歌い出す千昌夫の「北国の春」を作詞した、「いではく」さんは長野県南牧村出身とのこと。ふるさとを歌った歌なので、いでさんは、長野県の自然のイメージを詩に込めたのだろう。ヒットしたのは、その想いが多くの人々の琴線に響いたからで、変わることのない季節や人情、ふるさとの自然を大事にしたいと願う気持ちは多いと思う。(土屋)
ドクダミ科ドクダミ属の多年草で、空き地や家の裏などいたるところで見かける匂いの強い植物だ。昨今の健康ブームでは、乾燥させて煎じたお茶を飲むことなど何度もクローズアップされて有名だが、江戸時代などの薬草の本にもその効能が万病に効くとして載っているそうだ。子どものころ、葉っぱを揉んでその汁を擦り傷などにつけられた人も多いのではないか。
花と見える部分(総苞)の中心の黄色いところが本当の小さな花の集合体だとか。濃緑色の葉っぱや日陰の薄暗さの中に咲く、真っ白い花はとても印象深いものがある。(土屋)
この写真は、2月に生協連の食堂・売店部会が、慶応義塾大学藤沢キャンパスの食堂や売店に視察研修で訪れた際、キャンパス内に立てられていたものを撮影した。福沢諭吉が慶応義塾の創始者で啓蒙思想家・教育者であることはご存知の通りである。 明治維新後も新政府に入らず民間にあって私学の慶応義塾での教育と文明開化期の国民の思想的啓蒙のために尽くした人物として日本の偉人伝に名を連ねている。著作:学問のすすめの冒頭にある「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず~」は知らない人がいないほど有名な一文だ。今回調べてみて、男女平等や一夫一婦制などを唱えた先駆者でもあると知った。
1984年発行の一万円札から、それまでの聖徳太子に代わって登場し、2004年のお札の改定時にも福沢諭吉だけが残っているので印象が深い。(土屋)
追記
同大学名誉教授の正田彬氏は、先日の長野での消費者月間記念講演の中で、「人権思想を唱えた福沢諭吉は明治維新期の異端児であった。」といわれた。福沢諭吉などの人々が、現憲法で保障され、われわれ日本国民が享受している「基本的人権」のさきがけとなったことを思うと、この銅像が持つ重みを感じる。(小松)
自分が小学生のころは、6月の春の田植え時期と秋の稲刈りの時期に「農繁休業」があって、夏休みと春休みが都会の子供達に比べて短いことを嘆いたものだ。
それでも親戚の田んぼで田植えを手伝って、休憩の時に食べたお茶菓子の味が美味しかったことを覚えている。小さな田んぼは、当時の田植え機も使わずみんなが一列に並んで手植えをしていった。中腰の姿勢に耐え切れず、お尻を田んぼに浸けてしまったり、螻蛄(おけら)を捕まえて遊んだりしたことも懐かしい。
手植えが乗用田植え機に変っても、この季節は農家の方々の活気が伝わってくる喜びの季節でもあると思う。(土屋)
キク科キク属の半耐寒性多年草で、葉は食用の春菊(シュンギク)に似ていて、枝や茎が木質化することからきた名前らしい。3月から7月にかけて花を咲かせる。
子どものころ、女子が「好き、嫌い」とつぶやきながら、花びらを1枚1枚ちぎっていたのを思い出すが、自分は、目玉焼きみたいな花だと思っていた(笑)。
調べると、マーガレットの花びらの枚数は決まっていないけれど奇数が多く、最初に唱える言葉が最後に来ることが多いと言われている。そのことから、恋占いの花になったのだとか。花言葉は「恋を占う」「予言」「真実の愛」など。(土屋)
特に参道の中間にある赤い随神門から奥社までの参道両脇に並ぶ杉は、徳川幕府の厚い保護のもと立派に育ったクマスギ(久万杉)の巨木達で、樹齢400年に及ぶとのこと。
そぞろ歩く観光客も、苔むす根元から上を見上げては、巨木の威容を実感しているようだった。
戸隠高原は、芽吹きも始まったばかりで、植物達の濃密な匂いは感じなかったが、清清しい空気を味わえた。自分にとって大好きな場所の一つだ。(土屋)
長野県は南北に長いので、桜前線の北上でも南信地域と北信地域ではかなり開花期が違う。そして標高の高い高山村には枝垂桜をはじめとして見ごたえのある桜が多く、花見のできる時期も長いとのこと。
エドヒガン桜はバラ科サクラ属の落葉樹で、桜の中では最も長寿な品種の一つ。ソメイヨシノと比べると1週間ほど開花時期が早く、「神代桜」など天然記念物に指定されているものも多いらしい。この黒部のエドヒガン桜は推定樹齢500年余とのことで、見事な枝ぶりが素晴らしい老樹だ。(田島)
道祖神が作られた初期は、ご神体として文字だけを彫った石碑が多かったとのこと。
長野県では、中信地域が全国的にも最も道祖神が多く、安曇野市周辺の双体(夫婦)道祖神は特に有名で、江戸中期から明治、大正期にかけて多くが作られたらしい。また、別所温泉からさらに奥に入った上田市野倉の夫婦道祖神もかなりのものだという。
この写真は、野倉へ向かう入口の北向観音のそばに立てられた小さな道祖神で、男神と女神の二人がワンちゃん(?)を抱いていて微笑ましい。
誰がどんな思いで作ったものだろう、なかなか興味深いものがある。(土屋)
薄緑色の新芽とともに黄色い小さな穂状の小花が春風に揺れる。柳には数多くの種類があるらしいが、思い浮かぶのは「猫柳」や「枝垂れ柳」だ。細くしなやかなで風情があるといった感じが柳のイメージだが、時代劇で幽霊が出没するのは決まってお堀端の柳の下というのもおもしろい。
枝垂れ柳は、「糸柳(イトヤナギ)」の別名を持つ中国原産の落葉樹とのこと。西条八十作詞で中野市出身の中山晋平が作曲した「東京行進曲」の冒頭には、「昔恋しい銀座の柳」と歌われていて、映画主題歌の第1号としてヒットしたのが昭和4年のことだとか。(土屋)
かわいらしい名前だが、道端や畑などの雑草として群生し、農家に嫌われているという。
調べてみると、ヨーロッパが原産の2年草植物で、明治時代に渡来した新しい帰化植物とのこと。オドリコソウは葉の形が笠をかぶった踊り子の姿に似ているところから名づけられたというように、ヒメオドリコソウも明るい赤紫の小さな花の立ち姿がなんとなく女性っぽい。花が環状に並んで咲く様子が、踊り子が踊っているように見えることからとの説もある。
もうじき農家の方がエンジン草刈り機で、土手や畦・畑を刈り払う季節がやってくる。(土屋)
球根植物で寒さに強く丈夫な育てやすい花。この時期、散歩する道沿いのお宅によく咲いている。1茎にいっぱいの花をつけ、芳香を持つ日本水仙は「房咲水仙」だが、「ラッパ水仙」や「八重咲水仙」など種類はものすごく多いという。日本では日本海沿岸部などでは群生して観光地になっているところもあるとか。
名の由来のように、寒い時期に水面を覗き込むように水辺を好んで咲く姿から、ギリシャ神話のナルキッソスの話があるのはご存知の通り。花言葉は、神話からか「うぬぼれ」「自己愛」があるが、その他種類によっていくつもあるとのこと。(土屋)
梅は、バラ科の落葉樹で中国の国花。中国渡来のため日本の花の咲かない時期に花をつけるとか。 県内でも小諸市が市の木に、宮田村は村花にしている。菅原道真の和歌では「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」があり、京都から大宰府(福岡県)まで道真を慕って一晩で移ったという飛び梅伝説は有名だ。
青い梅はそのまま食すと中毒するというが、アルコールや熱で毒性が低下し、梅酒や梅干として利用されていて美味しい。花言葉は「高潔な心」「澄んだ心」「独立」などだとか。(土屋)
道路原票は、道路の起点となる標識で、1919(大正8)年道路法施行令によって各市町村に置くことが決められたという。
当時は、国道や県道、市町村道などの基準点を表し、交通整備に寄与したのだろう。全国でも、小学校、寺社仏閣の門前、郵便局、農協、駐在所、公民館の前など、市町村の中での交通の要衝、町の中心地だった場所に残っていることが多いとのこと。ちなみに、日本国道路原票は東京日本橋の中央(道路の真ん中)にあるそうで、そのレプリカが日本橋のたもとにあって皆が触るのでピカピカしているそうだ。
春の匂いとともに、まさに起点からの様々な旅立ちを送る季節となった。(土屋)
ニュースを聞いて行って見ると、大勢の方が見に来ていた。
節分草(セツブンソウ)はキンポウゲ科の多年草で、白い花びらに見えるところはガクが変化したものとのこと。標高の高いこのあたりは、節分ではなく3月になってから2~3週咲くそうだ。
節分草は乱採取され、絶滅の危険が増大している種(絶滅危惧Ⅱ類)にも指定されているとか。日陰にたくさんの小さな白い花が咲いていて、花が退化した中心の黄色い蜜線や青紫色のオシベのところに、早くもミツバチが飛び回っていた。(土屋)
先日、久しぶりに見た氷川丸は、当時と同様に山下公園前で係留されていて、以前よりきれいになったように思った。このごろは、横浜といえば「みなとみらい地区」、船といえば「日本丸」となってしまい、古いものが押しやられているようで残念な気もする。
氷川丸は、貨客船として1930年に作られ1960年に運航を終わるまで、大勢の乗客や物資を運んだというが、その数奇な運命は第2次世界大戦を抜きには語られないのだろう。大戦前に作られた豪華客船として、船内のデザインはアールデコ調だとか。博物館としての機能もあると思う。歴史の生き証人としてずっと保存されればいいなあ。(土屋)
幻日について調べると、朝や夕方といった、太陽の高さが低いときに現れることが多いらしい。
この写真では、太陽は東の空にあり、ちょうど山に隠れて見えない。風の無い日に、空気中に浮かぶ小さな氷の結晶に太陽の光が当たり、太陽の両側に太陽と同じ高さの光が出る現象とのこと。
虹のように色づいて見え、早朝に体験した珍しい現象だった。(小松)
そういえば、かなり少なくなって、四角い形のものばかりが街中に見られる。古い町並みに似合う丸型ポストは、帽子をかぶったようで、なんだか人間的な雰囲気が愛らしい。
この円筒状の形の丸型ポストは、正式には「郵便差出箱1号丸型」と言うらしく、明治34年に原型ができたとのこと。戦中は、デザインを踏襲した形のコンクリート製もあったと聞いた。
100年以上も愛されてきた温かみは、郵便局のシンボルだと思う。街づくりの観点からも残し続けて欲しいものだ。(土屋)
道路の端っこ、庭木の根元、家の北側や日陰の場所、いたるところに緑のコケが目につく。
盆栽や箱庭にも使われて小宇宙を作り、「わび」「さび」といった日本の風情をかもし出す道具にもなる。雨など空気中の湿気が増すと、コケの緑色も濃くなる気がするし、やわらかそうなフワフワの雰囲気が良い感じです。日本はアメリカに次いで世界で2番目に種類の多い国だとか。
ご存知ですよね、ことわざの「コケの一念岩をも通す」のコケは、この蘚苔類のコケとは違うこと。(土屋)
車を降りて道沿いの渓流に分け入ると、枝分かれしながら張る薄氷があった。夜の寒さで重なったのか、四方八方に結晶した氷が、二重三重に束ねたように広がっている。見ようによっては不思議な模様となっていてきれいだ。
まわりの音といえば、氷の下を流れる水がコポリコポリとくぐもって聞こえるだけで、それが逆にあたりの静けさを増幅させていた。(土屋)
私の住んでいる地域の三九郎が、14日(月)の成人の日に行われた。12月にPTAの役員が中心となる木を山から切り出し、翌週には田んぼのはぜ木も使って、三角に組み立て準備をした。
14日当日は、朝8:30から「松集め」。軽トラック3台で、小学生の子どもたちと一軒一軒、使い終わった「正月飾り」や「だるま」を集めて回った。寒かったが子どもたちも嫌がらずに回ってくれた。
ずいぶん集まり、にぎやかになった。10時に点火。瞬く間に燃え盛り、火が小さくなったところで、てんでに「繭玉」を木の枝の先に指して火にあぶり、火が通ったところで食べた。
来年も、その次の年も、無病息災、五穀豊穣を願う三九郎の行事が続いていくことを祈っている。(小松)
天頂近くに赤く火星が光る寒い道を歩き、参拝者の行列の最後尾に並んだ。参道には、露天商の電球の光と美味しそうな匂いが漂う。30分ほど並んでお参りし、厄除けの「蘇民将来符(そみんしょうらいふ)」を求めた。
六角形の蘇民将来符には「大福・長者・蘇民・将来・子孫・人也」と二字ずつ書かれていて、頒けられた人は、家の玄関や屋内の棚、神棚などに置いている。この厄除けのお守りは、形が紙や木の板などに変わっても北は青森県のお寺から南は長崎県壱岐の島まであるとのこと。
ちなみに、信濃国分寺は天平時代に全国に建立された国分寺の一つで、三重塔は国の重要文化財にも指定されている。八日堂縁日は、正月7日と8日のみで、「蘇民将来符」のほかに縁起物の「だるま」も売られていた。(土屋)
今年も12月の始めから大小3個のタワーと植え込みへ飾り付けがされ、塩尻駅を利用する人たちの目を楽しませてくれています。
最近は、塩尻でも家の周りを様々な電飾で飾る家庭が増えています。とても凝っていて感心させれることしきりです。アメリカでは音楽に合わせて点滅するとてもにぎやかな家もあり、ニュースになっていました。
冬の寒い夜空に、キラキラと光るイルミネーションの明かりは気持ちを暖かくさせ、いつまでも眺めていたい気になります。(小松)
ヒーターの効いた車内から出ると、痛いほど雪が吹き付けてくる。標高の高い山々の天気は変わりやすい。森の樹木は雪に飾られており、あたりは墨絵の世界のように色を失った。
例年、クリスマスごろに一度は町場にも雪が積もるが、今シーズンの降雪はどうだろう。カマキリの卵は、草の茎の高いところに産み付けられていたという話を聞いた。(土屋)
近所にある1本は、家々の庭木が寂しくなる中、枝がたわむほど赤い実を見事につけて、「あと少しで今年もおしまいです」「さあ冬本番です」と知らせてくれているように感じた。
バラ科なのでトゲがあり、日本では常盤山査子(トキワサンザシ)や橘擬き(タチバナモドキ)という学名で区別しているらしいが、ピラカンサという呼称が一般的とのこと。色が少なくなった季節の中で燃え立つような赤色が、元気を運んでくれる。(土屋)
実を真ん中から切ると、鮮やかな緑の断面に黒い種が放射状に並んで美しい。日本でも作りやすい果物として植える人が多くなり、ホームセンターなどでも苗を売っている。中国が原産だと聞いた。でも、日本で販売されている多くはニュージーランド産とのこと。名前もニュージーランドの国鳥であるキウィに姿が似ているところから付けられたとは良く聞く話だ。
ビタミンCが豊富で、消化を助ける成分もあるとか。これから年末年始はお腹の負担の大きくなる時期、甘みと酸味を楽しみながら体調維持のためにも食べたいと思う。ちなみにキウィはマタタビ科で、根元や枝に寄ってきたり、中には陶酔してゴロゴロする猫もいるとのこと。(土屋)
びっくりしたのは、落葉するのに針葉樹だということだ。晴れた日のいちょう並木は、陽の光に映えた黄色が拡散して美しい。扇が舞って落ち葉のじゅうたんとなる雰囲気も中々だと思う。
いちょうから落ちた実は匂いがとっても臭くて、踏んでしまって閉口したことがある。種の中身は茶碗蒸しなどにも定番で入るが、少しエグ味があるのでよけて食べる人も多いんじゃないかな。
長野県生坂村には、県の天然記念物に指定された「乳房イチョウ」がある。樹齢800年で高さが35mとのこと。名前の由来は、幹や枝から瘤が垂れ下がる様からで、出産後の女性の祈願する姿もあるという。なお、「乳房イチョウ」は全国にあり、松本市の千手のイチョウも「乳房イチョウ」と呼ばれていたとのことだ。(土屋)
車のフロントウインドーに降りていたので、近所の畑などを見てまわると、土や作物、落ち葉などにキラキラ輝いて結晶している。
霜は、風の無い寒くて晴れた日の朝に降りるという。朝日が差し込んでしばらくすると、ガラス細工で装飾されていたような花や葉の霜が消えていった。
今はあまり霜焼けのできる子どもは居ないのかもしれないが、昔は手足の指などに霜焼けやあかぎれができている子どもがたくさんいた。霜月、早霜、晩霜、幾星霜など、霜という字を使う様々な言葉は、とても豊かで季節を感じさせる。(土屋)
うどんやそばの付け汁に昔から使われているそうで美味しい。
長野県の坂城町周辺では、小さめのかわいらしい辛味大根が栽培されていて、「ねずみ大根」「中之条大根」と呼ばれている。ねずみ大根のおしぼりに信州味噌を溶かした付け汁へ、釜揚げのうどんを入れて食すと、ツンとした香りと辛味が口いっぱいに広がる。大人の味だね。
10月からが収穫期だが、特に採れたばかりの大根は辛味が強いと、お店の人に教わった。
江戸時代から坂城町周辺で地元の人たちが細々と栽培してきた伝統野菜の大根。名前の由来は、坂城町「ねずみ地区」の地名からなのか、写真のようになんとなく「ネズミ」に似た形状からなのか、なんだかおもしろい。(土屋)
厳寒期の農家の人々に工芸品を作って副収入を得ると同時に、文化と思想を高めてもらおうとした農民美術運動は、1919(大正8)年に版画家・洋画家の山本 鼎(やまもとかなえ)が長野県上田市ではじめたという。
先人が88年も前に、わが身の困窮にも負けずに育てた運動を知って、その精神力やエネルギーに驚く。
制作題材も木っ端(こっぱ)人形から室内装飾品・実用品へと変わり、昭和57年には長野県の伝統的工芸品に指定されたとのこと。上田市では、玄関や客間に「上田獅子」の飾り額や飾り皿が飾られることも多く、信州の風物や風景が木肌を生かした素朴なあたたかさで彫刻されている。
この写真はホテルサンルート上田のロビーに掛けられているもの。題材の上田獅子は、郷土芸能としてかなり古くから伝わっているとのことで、真田昌幸が上田城を築いた時(1583年)にも奉納されたといわれ、明治時代以後も特別な行事には踊られているという。連綿と続く歴史の踊りを生で見たい。(土屋)
普通のキノコのように、地面からにょっきりと立ち上がって傘が開いてしまうと、香りも味も落ちるのだそうだ。だから、傘の開いていないもの採るためには、ほんの少し頭を持ち上げたところを見極めなければならず、素人が採るのは中々難しいとのこと。
有名な産地は、長野県のほか石川・岐阜・京都・岡山・広島などで、あかまつ、とどまつ、えぞまつなどの林に出るという。豊かな香りを活かした料理は、炊き込みご飯、吸い物、網焼き、てんぷら、土瓶蒸し、松茸酒などのほか、鶏肉のすき焼きに薄切りの松茸を入れた鍋も美味しい。講釈などなしに、五感で味わったほうが利口だよね。(土屋)
昔の漫画には良く柿の話がでてきて、主人公が苦労して採った(盗った?)柿にかぶりつくと渋柿だったという笑い話が多かった。子どもも柿の美味しさを知らなくなった。皮を剥いたり種があるものは「めんどくせー」なのだそうだ。外国産やハウス物など季節に関係なく果物が手に入るようになり、冬の保存食としての役目も今は昔となった。
甘柿の生食もいいけれど、渋柿を干したものはお菓子としても最高。長野県では南信州の市田柿が干し柿で有名で、この季節になるとテレビなどに皮むき作業と「柿すだれ」の映像を良く見る。小さめの実を天然乾燥すると、白い粉(ブドウ糖)と柿色の混ざった自然のオレンジ色となって美しい。渋めのお茶と一緒に、あの甘さを食べたくなった。(土屋)
調べると、花穂が動物の尾に似ていることから尾花とも呼ばれるイネ科の多年生草とのこと。しかし、狐の尾にしちゃあ短いし、園芸用の「鷹の羽ススキ」という鳥関係の名前のものもあるから、鶏の尾のことかなとも思う。古くからの名づけられ方に想像が広がる。
合掌造りなどに残る「萱(茅・カヤ)葺き屋根」の屋根には、葺く材料としてススキが使われているし、ススキは利尿剤などの薬にもなったという。利用価値のあるススキの生える草原を昔から「茅場(カヤバ)」と呼んだそうだ。東京の茅場町はその名残りの地名なのかも。
ススキにかぎらずイネ科の花は風媒花だが、子孫を残せる重い種子から風に運ばれ、軽い種子はそのまま冬まで残って枯れ尾花になるのだとか。花言葉は「勢力」「活力」。(土屋)
深めの水槽でしばらく飼っていたが、ときどき逃げ出すので驚く。いったいどうやって、ツルツルの水槽の高さをクリアするのか。何度も逃げるので、子どもと相談して川に戻すことにした。
サワガニは近くの渓流(沢)などにたくさんいる。子どもが石をはぐってサワガニを捕まえようとする姿は、自分が子どものころの姿とまったく同じだった。きれいな水にしか棲めないというサワガニのいる川を残せるようにしなくてはと思う。調べてみると、冬は川の近くの岩陰などで冬眠し、寿命は数年-10年ほどもあるという。
上高井郡高山村の松川渓谷沿いにある五色温泉の宿の前には「沢がにの から揚げここは 奥しなの」という句碑があって、料理にもサワガニが出されるとか。
朝晩の涼しさに加速度がつきだしたこのごろ、松川渓谷へ紅葉狩りに行ってみたいと思った。(土屋)
明治時代に渡来したこの花を日本では秋桜(アキザクラ)の字で当てることが多いが、パソコンでコスモスを変換しても秋桜は出なかった。
コスモスと言えば、長野県内では「佐久コスモス街道(国道254号線)」が有名で、道路の両脇に10キロ近く咲き続いて見事だ。1972年に地区の老人クラブの方々が植え、以来ずっと地域で守って咲かせてきたと聞いた。花言葉は「乙女の純真」「調和」「美麗」。
ちなみに「宇宙」の意味のコスモスはギリシャ語でKOSMOSとのこと。(土屋)
その姿や顔つきが、確かに「ぐうたら」しているように見えるので可笑しい。お昼ごろだったせいか、生のハッチは寝そべったままで、サンドバックを蹴って遊ぶ姿は見られなかったが、大勢の子供の歓声や笑い声が聞こえ、動物園の楽しさを再認識できた。
おなかの大きなクララ(ハッチの奥さん)やクラッチ(前夫の子ども)もカンガルー舎から姿を見せるサービスをしてくれた。人間の家族のような風景が自分たちに重なって見えて人気なのだろう。
動物園の他にもちいさな水族館やちいさな遊園地があって、大人200円、中学生以下70円、未就学児無料ですべての施設に入場できる。これらは、桜の名所100選や日本の名松100選に選ばれている臥竜公園の一角に建てられている。起伏に富んだ見学コースに吹く秋風が心地よかった。(土屋)
すこし前までは鳥追い爆音機が鳴ったり、大きな目玉の風船が吊るされていたりしたが、田の中にポツンと案山子が立つ昔ながらの風景を見ると安心を感じる。見回すと、あちこちに様々な姿の案山子があって、農家の方々の工夫が微笑ましい。
この安曇の地や全国各地には「かかしあげ」という神事があって、旧暦10月10日(今年で言えば11月19日か)に行われると聞いた。田の神(案山子)に感謝を奉げるのだという。
山間の田んぼでは、もう早稲の刈り取りが始まっていた。鳥獣を近づけないように、黄金色の穂をつけた田んぼの中で昼夜頑張る案山子。もうしばらく活躍の場がある。(土屋)
子どものころ、ブラシのような穂先を握って、強く握ったり弱く握ったりすると、ウニウニと動いて握り拳から登ってくるという遊びをしたことが懐かしい。
イネ科の野草で粟(アワ)の祖先ともいわれ、少しなら食べられるとか。近代前や終戦前後の食糧難の時には、皆がこのような野草も食べたのだろうか。粟、コーリャン、ふすま、代用食といった言葉を、戦争に関わる日のニュースに触れないと思い出さなくなった。おりしも長野市では、「語り継ごう戦争体験の記憶・平和祈念展」が長野市生涯学習センターで9月21日から30日にかけて開催される。
地球温暖化とか、広がる食品汚染とか、代替燃料のための作種転換、食料自給率の低下などなど、これだけ食に関わる報道が重なると、複合した危機がダムを一気に崩壊させるように飽食のツケが来て、猫じゃらしを口にする日が来たりして、と思った。(土屋)
この遺跡の発掘は東北地方に縄文時代から高度な技術力を持つ大規模集落があったことを証明し、日本中に衝撃を与えた。
学習館に展示されている土器や石器、ヒスイの玉や板状土偶の豊かな表情を見ながら、みちのくの豊かな自然の中に生きた縄文人の生活に思いをはせた。(両澤)
青森ねぶたは歌舞伎人形燈篭が主で、跳人が勇ましく飛び跳ねるのが特徴である。
4tもの山車に続き、「ラッセ、ラッセ」という掛け声を出しながら、迫力ある囃子の太鼓や笛の音に合わせて跳人の踊りが披露される。
2時間あまり、短い夏に乱舞する青森ねぶたを堪能した。(両澤)
一時の雨の晴れ間に渓流沿いの遊歩道を歩いてみた。
岩の間をほとばしる清流、さまざまな植物が生い茂る水際の小道、苔むした倒木や、躍動感あふれる滝。
奥入瀬渓流はまさしく千変万化の水の流れが生み出す自然美の宝庫だった。(両澤)
今回、当会理事の両澤増枝様より、写真と原稿をお送りいただき、掲載しました。どなたからの投稿も歓迎します。
最初は葉っぱかと思ったが、目を凝らしてみると頭がとがった、2センチほどの小さいバッタである。オンブバッタの幼生らしく羽がまだ生えていない。羽があってもあまり飛ばない種類らしい。こんな団地の中へどこから来たんだろう。
休日に家の塀の塗り替えでハケを動かしていると、端のほうにいたこのバッタが、塗るのに合わせて徐々に塀を移動していく。2時間ほどかけて反対側の端近くまで塗り終わると、バッタも塀の先端にたどり着いていた。
猛暑の中を一緒に仕事をした仲間のような気分になってしまい、つかまえて少し離れたところの草ぼうぼうの空き地へ離してやった。同じ色の草の中に入り見分けがつかない。空き地はほんの少し涼しい感じがした。(土屋)
冷涼な風に様々な花々が咲き乱れ、トンボが群れをなして飛び、立秋を過ぎても暑さの和らぐ気配がない町場とは別世界だ。
アザミは、秋の山野を彩る花の代表として、赤紫や青紫の花を咲かせる。写真は湯の丸高原で群れて咲いた中の一つを接写したもの。日本には80以上も種類があり、キソアザミやトネアザミのように○○アザミという名前がついていて、単に「アザミ」という学名の種類はないのだという。
アザミといえば、童謡(だと思う)の一節「あざみのギザギザのこぎり葉 葉っぱであんよを ケガしたの」がいつも頭に思い浮かぶのだが、メロディーも前後の歌詞もタイトルも、まったく思い出せない。ご存知の方がいたら教えて欲しい。(土屋)
長野県内では月遅れの8月7日に行われることが多いと思う。子どものころ、笹に願い事を書いた短冊を結びつけて軒先に立てたり、織姫・彦星の話をしてもらったことを覚えている。
松本市の伊勢町商店街を歩いていたら、店のディスプレーや窓などに紙の人形が飾られているのに気づいた。全国には、色紙や千代紙で作った七夕の人形を飾るところがあり、松本市や大町市にも伝承されているのだという。「七夕人形」を軒端に吊るすという習俗は江戸期から伝わっているらしく、日本民俗資料館(松本市)にある人形には、国の重要民俗資料に指定されているものがあると聞いて驚いた。
松本市中央公民館では、紙で作った大きめの人形に、子ども用の浴衣を着せたものが展示されていた。地域に残る風俗を見ると何だかうれしくなる。(土屋)
昔も夏休みの定番といえばラジオ体操だった。全国ラジオ体操連盟のホームページを見ると、昭和3年に国民保健体操という名称でラジオ放送されたのが始まりと書いてある。80年近く前からあったのかとびっくり仰天である。
子どもにくっついて公園に行くと、懐かしい歌が始まった。「あ~た~らしい朝が来た、希望の朝だ」、現在も歌われているこのラジオ体操の歌は、昭和31年にできたものだとか。そして、ラジオ体操の第1は老若男女を問わず誰でもできるところ、第2は第1よりやや運動量を高めて、体をきたえ筋力を強化するところにポイントを置いているとのこと。
終了後、子どもがラジオ体操カードにはんこを押してもらっていた。家族旅行などに縁のない家に育った自分は、はんこの欄が皆勤だった。
朝から身体を動かし、爽快な一日を始めることができた。明日も行こう。(土屋)
北アメリカ原産の菊(きく)科の一年草で様々な種類があり、種や種から採った油は食用になったり、茎や葉などは薬草としても用いられるという。
別名 は「日輪草」(にちりんそう)で、お日様を追いかけて花が向きを変えるとよく言われるが、芽生えから開花前のつぼみのころに少し太陽の方向に傾く程度らしい。
「ひまわり」と言えば、私たちの日常生活にもなじみが深い運輸多目的衛星「ひまわり」の6号が現在稼動中だが、確かにお日様の周りを地球と一緒に回っているなあ。
46億円と言われたオランダ人画家のゴッホの「ひまわり」を、東京の「損保ジャパン東郷青児美術館」まで見に行った覚えがある。花瓶に挿された黄色いひまわりと黄色の背景の、明るいようで暗い落ち着かない気分にさせられた絵だった。しかし、普段のひまわりは、明るく、大きく、力強い「太陽の花」のイメージで、やっぱり青い空と白い雲が似合う花だと思う。(土屋)
様々な音程の声がうるさいほど響いていたかと思うと、時々いっせいに静まりかえる時があって、何があったんだろうと想像するのもおもしろい。
わが家の草陰にも、小さな蛙が住み着いて草取りをするときなど、飛びついてくることがある。写真は、いちごの葉っぱの上に乗った1センチぐらいの小さな蛙。
小林一茶の「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」や、松尾芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」といった有名な俳句、花札の中にも小野道風と柳に飛びつく蛙の絵柄があったり、「鳥獣人物戯画」で擬人化された蛙など、人間の生活に近しく描かれてかわいい動物でもある。
長野県では、全国からカエル好きが集まる、2007松本「縄手カエル祭」が7月1日まで開催されていたという。来年は遊びに行くところが増えそうだ。(土屋)
栽培が簡単でたくさん採れることから、日本中で栽培されている代表的な野菜なのはご存知の通り。
長なす、卵形なす、丸なす、などいろいろな形があり、全国には昔からその土地土地で伝わってきた在来品種もたくさんあるという。少し大きめな小布施町の丸なすもその一つだ。
「なす」や「キュウリ」に竹串や割り箸を刺して、馬や牛に見立てて作ったお供えを仏壇に飾るお盆の慣わしは、子供たちの仕事?になっていて、昔から身近な野菜だったのがわかる。
なすは「おやき」の具材としても使われ、輪切りにしたなすを焼いて間に油味噌を入れたものや、ざく切りにして甘味噌と油いためして包んだものなど、各家庭の味として楽しめる。体温を下げる効果もあると知り、近所からのおすそ分けを期待して、これからの暑い夏を乗り切るためにもたくさん食べたいと思った。(土屋)
このイベントは「電気を消して、スローな夜を」という呼び掛けで始まって5年目になるという。毎年、夏至の日と冬至の日を開催日として世界に呼び掛け、夜の8時から10時までの2時間を、電気による照明を消して好きなことをする時間に当てようというものだ。
わが家は子どもが小さいので、薄暮の残る7時から始めた。子どもが保育園からもらってきたペットボトルで作ったキャンドルランプを使う。明るい時に見てチャチいなあと思ったランプも、ろうそくの火を入れてみると中々幻想的なのでびっくりだ。
小さな声で話せばいいのに、テーブルを囲んで家族みんなが大きな声で話をしている。強制的なBGMを含め、普段から様々な音が生活に入り込みすぎているからかと、改めて気付かされた。電気とテレビを消して、わが家のキャンドルナイトを増やしてみたい。次の「100万人のキャンドルナイト」は12月22日(土)の冬至の日らしい。(土屋)
サツキとツツジはどうやって見分けるのかわからないが、旧暦の五月(皐月)頃に、一ヶ月程ツツジより遅く咲くことから名付けられたと聞いた。五月(皐月)に咲くツツジとして「サツキつつじ」と呼ばれ、「サツキ」となったらしい。
サツキ(皐月)の由来を調べると、稲作や田植えといった農業に結びついたものがほとんど。
早苗を植える月「早苗月(さなえづき)」が略され、サツキになったとする説。苗代から本田へ幼苗を移植する「田植え月」の「田月」が「皐月」に変化したという説。耕作を意味する古語「さ」から、稲作の月としてサツキになったとする説。「皐」という漢字には、「神に捧げる稲」という意味があり、皐月は稲作の時期であったことに由来するという説。などなど。
日本語の名前の成立過程や背景には、様々な意味や由来があって調べるのが楽しくなる。(土屋)
国道18号線旧道の碓氷峠(長野県と群馬県の県境)には、旧鉄道のトンネル26本・橋梁18橋のうちのいくつかが遺構として見られ、その一部は国指定重要文化財にもなっている。
写真のめがね橋の愛称をもつ碓氷第3橋梁は、レンガ200万個を使って作られた長さ87.7mのアーチ橋で、1893年(明治26年)開通したとの看板説明があった。
旧国鉄・信越本線の横川駅と軽井沢駅の間は、明治から昭和38年まで550mを超える標高差の急勾配の為、ドイツの山岳鉄道で使われていたアプト式歯状軌道を使って蒸気機関車や電気機関車が客車を引いて登ったという。碓氷峠の鉄路開通により、軽井沢が大正期に避暑地として有名になったことも初めて知った。
明治の職人さんたちが一つ一つレンガを積み上げて作っためがね橋、高速道路の橋梁とは対極の美しさで堂々と緑の谷間にそびえ、感動させられた。(土屋)
ひところは「てんとうむしのサンバ」という歌がどこの結婚式でも歌われたりしていた。
天道虫と言えば、益虫とされるナナホシテントウやナミテントウは、アブラムシ類やカイガラムシ類などを食べる肉食。害虫と言われるニジュウヤホシテントウやオオニジュウヤホシテントウはジャガイモやナスなどの葉を食べる草食で農家に嫌われている。虫からしてみれば、なんて勝手なと言われそうだが、恐竜の場合とは逆で肉食のほうが人間にとって都合が良いからしょうがない。
見ていると、葉っぱでも枝でも手のひらでも、天道虫は上へ上へと昇っていく習性がある。ちょこちょこしながら、ずっと脚を動かして歩き続ける。その前向きな姿勢を人とダブらせて、背中の紋様とともに愛くるしく思うのかもしれない。子どもに言い聞かせ、虫かごのふたを開けると、本当にお天道様に向かってまっすぐ飛んでいった。(土屋)
さざなみの立つ水田の隣で、実りの季節を迎えた麦が、畑一面に黄金色となってさわやかな風にさわさわと揺れている。
麦はイネ科の穀類で、小麦・大麦・ライ麦などがあり、パンやうどん・ビール・味噌・納豆などにも使われている。ちなみにコープながのの「丸麦納豆」は美味しくて大好きな一品。
夏の季語でもあり、初夏の訪れを告げる言葉に「麦秋」がある。夕日の赤い色が大気に染まると、穂波はいよいよ金色に光り輝く。そんな色調や季節感を人生・家族になぞらえたタイトルの、小津安二郎監督の名作「麦秋」は、家族の日常を細やかに描いていて好きな作品である。
麦秋・家族、言葉つながりだけだが、映画を思い出しつつ最近胸に響いた言葉を書き留めたい。「地域のセーフティーネットが揺らぎ、家族の関係性等も見えづらくなってきている時代。安心・安全は気配り。安心はやさしさのコミュニケーションが前提です」・・安心を大切にしたい。(土屋)
途中、犀川を、車が走る田沢橋と並行して架かる、車の走らない自転車・歩行者専用の橋を渡りました。昔は車も走っていたのでしょうか。とても頑丈な橋です。
歩いて渡るだけで5分もかかったでしょうか。渡ったのは朝の9時頃でしたが、まだ日差しもさほど強くなく、気持ちよく歩けました。
結局会場に着くまで50分も歩きましたが、沿道の田んぼの緑や木々の香りが心地よく、得をした気分になりました。(小松)
ナスやトマトなども同じナス科でよく似た花を咲かせる。
この保育園は、庭をぐるりと囲んで様々な野菜が植えてある。種や苗が成長して花が咲き、実が熟すと収穫して食す。アブラムシもいれば毛虫もいて、子どもたちが食べ物とそれに関わる自然を身近に体験できる場となっているらしい。
「4月の初めごろに種芋を植えたと聞いたのに、たちまち花が咲いちゃった。もう初夏ね」とお母さんの一人が言った。来月には園児たちの歓声の中で、新ジャガが掘り出されるという。
子どもたちの収穫の時の喜んだ顔を想像すると頬がゆるむ。向こうの端には、サツマイモとトマトが植えられていて、文字通り何度も味わえる喜びというのもいいなあ。(土屋)
写真は、新幹線の橋脚に4分の3ほど出来上がった巣で、夫婦のツバメがひっきりなしに土を運んでいた。ツバメは台湾、フィリピンや東南アジアで越冬し、夏鳥として春先に飛来する野鳥とのこと。
ツバメが低く飛ぶと雨が近いなどと言われ、人の暮らしとも深い関係があったと思う。米などの穀物を食べず、蚊やハエ、アブなどの害虫を食べるため、益鳥として家に巣を作られるとかつては縁起がいいと喜ばれたが、今は糞が落ちるなどで迷惑がられるとも聞く。日本で生まれて何千キロも旅をして、またふるさとの家に帰ってくるツバメ。もし軒先に来たら、巣作りをじゃまするのではなく、工夫して身近な生き物と一緒に生活するという気持ちを育みたいものだ。
もう少ししたら、皆でそーっとかわいいヒナを見に行こうと思う。(土屋)
ヤギといえば、近所で飼っていたとか、ちょっとクセのある山羊乳を飲んだという年輩の方々も多いが、今は近隣でも見ることが少なくなった。
昔、童謡の「やぎさんゆうびん」をみんなで歌いながら「ちり紙」を食べさせたことがある。白ヤギと黒ヤギがお互いの手紙を食べてしまうことが無限に続く歌なので、いつ止めればいいんだろうと思ったりした(笑)。もっと古くには、「めえめえ児山羊(こやぎ)」という童謡があり、安曇野市豊科(旧豊科町)出身のドイツ文学者で童謡作家の藤森秀夫さんという方が、大正10年に作って児童文学雑誌『童謡』に発表したものだという。同市豊科の文化ゾーン「武蔵野の小径(こみち)」の一角に童謡碑もあるとのこと。
最近では「あらしのよるに」のようなヤギが主人公の話もあるし、グリム童話「おおかみと七匹の小ヤギ」は有名だよね。弱いけれどけっこう強い感じのヤギ。でもヤギの眼はちょっと変な感じ。(土屋)
標高の高い地域や寒冷地では、すでにゴールデンウィーク中に田植えが終わっているところも多い。棚田や小さな田んぼ以外はほとんど機械植えとなったので、苗代も田植え機に合わせた作り方をされている。
写真の白いネットの中には、3~4センチに伸びた苗が見えていた。この時期の苗づくりが後々の稲に影響を与えるそうで、遅い霜や土砂降りの雨、ウンカなどの害虫も大変心配なのだとか。
調べてみると、戦前に画期的な方法を開発したのが、長野県軽井沢町の荻原豊次さんという方で、何年も試行錯誤を繰り返し「保温折衷苗代」という革命的育苗法を開発したのだという。数年前にはやったプロジェクトXのような話だが、この方法が改良されて全国に広まり、日本の稲作の重心が北日本に大きく移動したといっても過言ではないとのこと。
素晴らしい先人がいて、長野県人として誇らしい気分になった。(土屋)
子どものころから葱坊主と言う呼び方は知っていたが、古い橋の欄干にところどころ付いている擬宝珠(ぎぼうし)に似ていることからネギの擬宝とも言われるらしい。
ネギはユリ科ネギ属の多年草で、現在では一年中生産栽培されていて、冬の常備野菜としても鍋の一番の脇役でもある。食べ方にも違いがあり、根元に土寄せをして白色部分を長くした根深(ねぶか)を食する地域や、緑色の部分を中心に食する地域などがあると聞く。
また、松本には「松本一本ネギ」という、根元は大きく曲がっているけれど独特の風味と甘さを持つ江戸時代からの品種があり、JA松本市女性部や松本大学などを中心に伝統野菜としての復権の取り組みが行われている。
ネギにも花言葉があると聞いて驚いた。「愛嬌者(あいきょうもの)」とのこと。さもという感じである。(土屋)
杉菜(スギナ)は姿が杉の葉に似ていることから、ツクシは形が筆に似ていることから土筆と書くようになったとのこと。
土筆が生えた後に、緑鮮やかなスギナがブワーッと密生すると壮観だが、採っても採っても生えてくる雑草でやっかいな代物だとも聞いた。地下茎を切ると、そこからまた生え出すのだそうだ。
春の味覚の山菜として、土筆を卵とじなどで食べた経験を持つ人も多いと思う。懐かしい味を思い出す。(土屋)
付近には20近くもモコモコした土の盛り上がりがある。
うちの近所の畑にも、モグラ対策用の木製やペットボトルで作った風車がカタカタと回っているが、田んぼのアゼなどに開けられると水田に水が溜まらず、農家の方は大変な目にあうと聞く。
肉食性のモグラは、食べ物のほとんどがミミズで1日に60匹も捕まえるとのこと。
野菜などの根を食い荒らす昆虫の幼虫やさなぎも食べるそうだ。
ミミズがいる土地は土質が良く、そのミミズなどを食べるモグラがいるという事は、その土地が良いという証拠だとも。しかし、農家の方々にとっては厄介な動物なのだろう。自然の豊かさと農業の営みとの関係は奥が深い。(土屋)
耕運機やトラクターを動かす風景が多く見られるようになり、それに合わせたように春の雨が降った。
しばらく地面に水分をしみ込ませた雨があがると、濃い雲間から日の光がもれて見える。レンブラント光だ。
天使の階段とも言う。オランダ絵画の巨匠で光の画家と呼ばれるレンブラントが、影の濃さとの対比で神々しいような光を使っていることから言われるようになったらしい。芽吹きの季節とあいまって、自然の荘厳さを感じさせる一瞬だった。(土屋)
昔は、なずなを使って音を出す遊びをした。ハート型の実を指でつまんで、茎からはがさずに下へ少し引き下ろす。他の実も引き下ろしてから茎を持って軸を中心にぐるぐる回すと、実同士が当たって「ちゃりちゃり」と小さな音が出るのだ。
実の形からの三味線草や、ぺんぺん草という別名もあり、大根や蕪と同じアブラナ科とのこと。
「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」と春の七草の名前はリズム感で覚えたが、七草粥をまだ食べたことがない。
いわれや風習にはそれぞれ深い意味があるのだろうから、そういったものが自然と後世へ伝えられればいいと思う。
「ぺんぺん草も生えない」という言い方はともかく、「あなたに私のすべてをささげる」という花言葉には、なずなのイメージを一変させられた。(土屋)
ペンギンやペリカン、珍しい猿など見た後、ニホンザルの猿山に行くと皆が身体を寄せ合ってひなたぼっこしていた。風には冷たさがあるが、日の当たる場所にだんごのように寄り添って、毛づくろいなどをしている姿が微笑ましい。
最近は、各動物園が様々な取り組みを工夫して動物たちの生態を伝え、入園者が増えているという。 飼育や管理を担当する方々の動物たちへの愛情と、入園者に対する心配りや行き届いたサービスが人を惹きつけているのだろう。
動物たちのしぐさを見るおもしろさ、楽しさと同時に、非日常の癒される空間でもある。
今度は、須坂市動物園のアカカンガルーの「ハッチ」の家族に会いに行きたいな。(土屋)
桜前線が北上し、南信の飯田などではソメイヨシノが満開という報道もあったが、時折冷たい風が通る安曇野では、満開までもう少し日にちがかかりそうだ。
例年4月から5月にかけて山の雪が融けはじめると、常念岳では常念坊とも常念和尚とも言われる雪形(残雪模様:黒い山肌がお坊さんの形に見える)が現れるという。
全国の山々にも様々な雪形の話があり、昔は田起こしや田植えなどの農作業の始まりを決める暦代わりにしたらしい。
朝、明るくなるのが早くなったと思っていたが、春の田起こしが終わった田んぼに来る鳥たちの声も大きくなった気がする。水ぬるむ季節になった。(土屋)
子どものころから道ばたや田畑の畦、空き地などでいつも見ていたおなじみの花だ。
群生して咲くと、遠目にも薄い青紫色の花弁が色鮮やかで、日なたで見ることが多いせいか「春になったなあ」と知らせてくれる花でもある。
瑠璃色、スカイブルー、淡青色という花の青い色を好む人も多く、「星の瞳」という別名もあるという。
小さな花であることも含め、本来の名前よりは別名の方がぴったりという気がする。
花言葉は「信頼」「神聖」「清らか」「忠実」。(土屋)
様々な話に感銘を受けたが、中でもクリキンディという名のハチドリについての民話の話が印象に残った。
森の火事の時に、逃げる動物の中でクリキンディというハチドリだけが、口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落とし続けたという内容だ。そんな一滴で何になると笑う動物たちに「私は、私にできることをしているだけ」と答えたという、先住民に伝わる物語である。
既にISO14001などを取得している生協もあるし、保有車のアイドリングストップの徹底や、長野日本無線生協のように売店でレジ袋を出さない生協もある。コープながのの店舗でも募金方式の有料化でレジ袋削減を行う。
組合員による、地球環境を守るための様々な環境の取り組みも積み重ねられてきた。
クリキンディのような皆の一滴一滴で、世の中が変わっていくはずだと思う。(土屋)
葉の形からまさか白菜かなと思いながら家で調べると、なんとやっぱり白菜だ。菜の花そっくりの花で、同じアブラナ科だけのことはある。
食べられるのかな?食いしん坊なら春の味を楽しもうと、サラダとかおひたしがすぐ頭に浮かぶだろう。
冬の畑にポツンと残されてしまった野菜でも、暖かな春になれば可憐な花を咲かせる強さを持っている。
なにげに、野菜の花は全部「菜の花」と言ってもいいのだろうか?と思った。(土屋)
見ると民家の庭先の梅が満開状態になっていましたので、カメラに収めました。
つい先週まで寒の戻りのような寒さだったのが、週始めの低気圧の通過で一気に暖かくなったためのようです。
「梅は中国原産。奈良時代の遣隋使か遣唐使が中国から持ち帰ったらしい。そのころは桜より愛でられたが、平安時代からは桜のほうに関心が移っていったらしい。「万葉集」の頃は白梅が、平安時代になると紅梅がもてはやされた。万葉集では百首以上が詠まれており、 植物では萩に次いで多い。」とホームページ「季節の花300」の梅のコーナーにありました。
梅の開花は春の訪れを感じさせ、気持ちが浮き浮きしてきます。(小松)
同じ地域や田んぼによっても違いがあると思うが、一般的に言われるのは昼夜の寒暖の差が大きいと米の美味しさや収量が増えるということで、長野県の気候と合致している。
米の消費量が年々落ちていると聞く。毎日食べても飽きないこんな素晴らしい食糧はないと思うし、健康や食料自給率の観点からもご飯食を大事にしたい。
自分では、様々な店(お米屋さん)でいろいろ食べ比べ、価格も含めて判断したいという思いがあるが、難しいので生協ブレンドの県産米を食している。これが、けっこう美味しい。
お米で時々思い出すのは、宮本輝原作・小栗康平監督の「泥の河」というモノカラーの映画だ。その中で少女が米びつの米を触りながら「お米、温かいんやで」と言う場面がある。せつなくて、とても印象に残っている。(土屋)
4、5台停められる駐車スペースに車を入れて、しげしげ眺めた。
市町村合併で長野市になった旧大岡村の芦ノ尻地区の道祖神で、超有名らしい。道祖神の石碑にワラで作った神面をかぶせてあって、その風貌のおかしさ、愛らしさに思わず笑みがこぼれる。
脇に立っている長野県教育委員会の看板には、県指定の無形民俗文化財で、正月の7日に各家々から松飾の注連縄(しめなわ)を持ち寄って飾り付けると書いてある。悪霊を防ぎ、無病息災を祈って一年飾った神面はどんど焼きで自然に帰すとのこと。地域の人々にとっては、とても大事な行事だろう。
何の気なしに通った道で素晴らしいものに出会い、温かく幸せな気分になった。(土屋)
桜といえば、4、5年前、東信地方の有名な枝垂れ桜を探しに行ったことがある。丁度、枝垂れ桜の時期でどの樹も満開だったが、どれがその見事な樹なのかわからない。
そこで、坂道を歩くもんぺに手ぬぐいのおばあさんに聞いてみると「見に来るほど有名かどうかわからんが、その先の坂を上がったところに大きなのが1本あるよ。わしが子どものころは見事だったけどね。今は火葬だから……」と、最後は独り言のように説明してくれた。
快晴の下、汗をかきながら登っていくと結構大きな枝垂れ桜の桃色が見える。勇んで近くまで駆け寄ると、樹の根に食い込んで傾いたりしている古い墓石がいくつもあった。さっきまで感じていたさわやかな春風が、立ち止まったせいかヒンヤリしたものになったのを覚えている。
昭和3年に発表された梶井基次郎の「桜の樹の下には」という詩を、あのおばあさんは知っていたのだろうか。いや、知っていたとしても、昔から各地で身近な話だったんだろうと思う。
ちなみに魯桃桜は桜ではないとのことで、長野県林業総合センターのホームページのミニ情報に詳しく載っている。(土屋)
3月に入ってから目のかゆみと鼻水・くしゃみが止まらなくなり、例年より早い症状の発現に耳鼻科に駆け込んだ。診察後、花粉症患者でごったがえす待合室で待って、ようやく薬を出してもらった。今年は飛散量が多いせいか、症状が重く飲んでもあまり効き目がない。
厚生労働省のホームページにも花粉症特集のページがあり、「政府として関係省庁が一丸となって積極的に取組む必要のある疾病である」と説明しているが、薬や衣服の開発など一人一人の対症療法では本当に限界だと思う。
5人に一人という国民病との認識の上で、防災や国土保全の意味も含めた森林整備に充実した予算をつけ、根源的な改善をして欲しいなどと大仰な望みを考えてしまう。
卒園、卒業、入学、就職と晴れがましい行事が重なる季節なのに、花粉症患者にとってつらく悲惨な季節でもある。(土屋)
長野県内には日本の名水百選に選ばれている水がいくつもあるが、ここもその一つだ。看板には、「星降る里の黒耀の水」と書かれ、何万年も前から途切れることなく出ているとのこと。
水質がカルシウムやマグネシウムをあまり含まない軟水で、ご飯を炊く時やだしをとる時、お茶を入れる時などに使うとすごく美味しくなるとも聞く。また、アトピーの子を持つ親が汲みに来ているという話も聞いた。
水が出る4つの導管には、ポリタンクやペットボトルを持った人が群がって一杯だった。無料ということもあってか、中には、業務に使うのか20個以上のタンクを軽トラックに積んでいる人もいる。
山脇に雪が残る季節にノーマルタイヤの車がいくつかあったので見ると、みんな県外ナンバーだ。近くのスキー場に来たついでかもしれない。
順番を待って口に含んでみると確かにやわらかい感じがして美味しい水だった。(土屋)
白鳥の会が立てた看板には、白鳥のエサは米やキャベツなどの野菜等が主で、毎日定時に与えていることと菓子パンや油で揚げたような菓子は与えてはいけないことが書いてあり、初めて知った。
県内各地の湖沼・河川に飛来していた白鳥は、暖冬のせいか例年より早くシベリアに旅立っているという。旅立つ白鳥は若い鳥を真ん中に挟んで飛ぶと聞くし、翼を傷めたつがいの片方のためにシベリアへ帰らなかった白鳥の話なども記憶に残る。
浅薄だが、動物に限らず子どもや仲間に対する本能的な家族愛の話を聞くと、ニュースや報道で見るいじめや虐待の話等と重ね合わせ、相手を思いやる心について考えてしまう。(土屋)
稲里店のベビーシートは1度しか使ったことはないが、あるとないとでは雲泥の差。まだまだ男性用トイレにベビーシートのない店も多く、男親が子どものオムツ替えをする時などとても困る。子どもが小さいころ、洋式トイレのふたの上でオムツを変えようと試みた時、狭いし不安定なので終いには火のついたように泣き出して困った思い出がある。
良いお店のイメージには、トイレの清潔感と使いやすさが上位に上げられるのではないか。その点、稲里店のトイレは合格点だと思う。ちなみに、下の子どもは今でもジェットタオル(自動手拭機)の「ガーッ」という音が怖くて近くにも寄らない。(土屋)
例年だと、融け切らない真っ白な雪の下から鮮やかに咲く黄色の花を撮った映像がよく見られたが、暖冬の今年はそうもいかないようだ。福寿草は、日中でも寒い時や雨空だと花弁がしっかりとつぼむ習性がある。
インターネットで福寿草を引いてみると、すでに高遠城址公園は満開、松本市四賀の群生地の見ごろは3月中旬、4月には「白馬さのさかの姫川源流福寿草まつり」が開催されるという。
南信から徐々に北へと開花が移っていく時間差は、季節の変化や標高の違いをわからせてくれる。この他、長野県内には何十万株も群生するような場所がたくさんあることを知って驚いた。(土屋)
朝日が当たってキラキラ光るのもきれいだし、土を頭に乗せたままなのもかわいい。
小学生のころ近所の子どもたちと登校中に、人が踏んでないところの霜柱を探しては、ザクザク踏んだ感触が今も忘れられない。学校に少しぐらい遅れるのもかまわず、皆が歩幅を小さくして足踏みみたいに踏んでいくのがとても楽しかった。霜柱を見つけたら、ほとんどの人が踏んでみたんじゃないかな。
子どもに声をかけたら、何度も踏んでるよとの返事。いつの時代も子どもたちの目線は変わっていないらしく少し安心した。(土屋)
早朝の信州大学工学部のキャンパスは、木々も建物もすべて雪景色の中。静謐感が漂う。
やがて橙色の朝日が当たると、木々に着いた雪が風もないのにボトリ、バサッと落ちはじめた。お日様の強さと寒さの弱まりも感じる。おとといは東京で春一番が吹いたというニュースが流れたが、この雪は春の淡雪なのだろうか。
青春時代によく聞いた正やんの「なごり雪」という曲のサビが頭の中を流れた。(土屋)
ギョーザ作りでは、生協の豚バラ肉などの具をミキサーするところまで奥さんがやってくれる。
子どもたちも一緒にお皿や水などを用意し、ギョーザの皮にボウルから具をとって70個ほど作る。「自分の食べる分は自分で作る」を合言葉に、ずい分手早く作れるようになった。
半月型だけでなく、両端をひねって包んだキャンデー型やさいころ型、だんご型、円盤型、帽子型、船型など、子どもたちが工夫して作ったギョーザにはびっくりさせられる。男2人の兄弟だが、料理を作ることに興味はあるらしい。
楽しく食べた後、台所まで食器運びをさせる。父親の食器洗いを見せて、少しずつ自然にジェンダーフリーのDNAが涵養されればと思う今日この頃でもある。(土屋)
荒神様の境内では焚き火がたかれ、近所の人たちが三々五々集ってきて、お互い挨拶などをしている。そのうち、どこからこんなに出てきたのかというほど子どもたちが現れて賑わいだした。
やがて、町内の年男・年女や役員が社殿の廊下や欄干の前に並んで、地豆やキャンデーの入った袋、みかん、お菓子を投げ始めた。わあわあいう声と取ったり拾ったりする人垣の揺れで大騒ぎとなった。エプロンにいっぱい獲物を入れてかえる女性、両手にいっぱいの袋を提げていく子ども。ちょっと気恥ずかしげだったり、大得意だったりと皆笑顔だ。
我が子のはじける笑顔を見るにつけ、こういった地域の行事や風物がずっと残っていって欲しいと思った。(土屋)
小さな蕾だが、幾重にも苞(ほう)が取り巻いて、冬の寒さから守られているのがわかる。
雪や氷を割って出てくる緑は健気で力強さも感じられ、元気づけられた。皆に笑われそうだが、ふきのとうが伸びて咲く花茎と丸い葉っぱのついた葉柄は、地下茎でつながった別のものだと初めて知った。葉っぱは夏ごろまで良く見るけど、ふきのとうは、その後どうなっちゃうのだろう。
子どものころ、春になると1回は「ふき味噌」が食卓に出され、その独特の香りと苦味の食べ物を大人はどうして喜んで食べるんだろうと思ったものだ。
居酒屋などでふきの煮物がお通しで出されると、母やおばあちゃんがアクで指先を黒くしながら、近所で取ってきたふきの葉柄の皮を器用に剥いていた、四半世紀も前のことを思い出す。(土屋)
「冬に食べるもののない鳥さんたちに、実を残しておいたんだよ」と話した。自分が子どものころ、自宅の柿の木でも数個の実を残してあり、それを鳥が食べていた記憶があったからだが、子どもに説明した後で少々不安になった。
家に帰って広辞苑で調べてみると、『木守り(きまもり)』=来年もよく実るようにというまじないで木に取り残しておく果実。とある。子どもにはもう一度説明をした。
柿やリンゴ以外にも果物全般に行われるようで、生産者の皆さんは、果実(自然の恵み)をもらったら、果樹への感謝や天(自然)への敬いの意味を込めて、全部取ってしまわず一つ二つの果実を残すという慣わしを守っているのだと思う。鳥たちは、そのおすそ分けに預かったり、種を運んで繁殖の手伝いをしているのかもしれない。(土屋)
4時から「どんど焼き」が始まり、青竹や藁(わら)などで作られたやぐらと注連飾りや達磨が燃えて、どかん・どかんと鳴る竹の爆音に子どもたちが大きな歓声を上げた。火勢が弱まったころ、子どもたちが先を競って繭玉や餅を焼く。私も子どもから繭玉をご相伴に預かり、その少し焦げて熱々のおいしかったこと。子どもと楽しんだ一日だった。地区の役員さんお疲れ様。
広辞苑には、『どんど』=「小正月(1月15日)に村境などで行う火祭り。門松・竹・注連縄(しめなわ)などを集めて焼く。」とある。松本地域では「三九郎(さんくろう)」、南信では「ほんやり様」と呼ばれたり、県内でも地域で様々な呼び方があるようだ。
稲藁で作った正月飾り等を燃やし、米の粉で作った繭玉や餅を食べるのは、昔から村々で無病息災や五穀豊穣を願ったという背景があるからだろう。「はやし歌」を歌いながら行うところもあると聞き、伝統文化を伝えていくことや、地域の方々との交流の場として残していきたい祭事だと思った。(土屋)
新年を期して長野県生協連のホームページをリニューアルしました。今後ますますのご愛顧をお願いいたします。
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