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4、5台停められる駐車スペースに車を入れて、しげしげ眺めた。
市町村合併で長野市になった旧大岡村の芦ノ尻地区の道祖神で、超有名らしい。道祖神の石碑にワラで作った神面をかぶせてあって、その風貌のおかしさ、愛らしさに思わず笑みがこぼれる。
脇に立っている長野県教育委員会の看板には、県指定の無形民俗文化財で、正月の7日に各家々から松飾の注連縄(しめなわ)を持ち寄って飾り付けると書いてある。悪霊を防ぎ、無病息災を祈って一年飾った神面はどんど焼きで自然に帰すとのこと。地域の人々にとっては、とても大事な行事だろう。
何の気なしに通った道で素晴らしいものに出会い、温かく幸せな気分になった。(土屋)
桜といえば、4、5年前、東信地方の有名な枝垂れ桜を探しに行ったことがある。丁度、枝垂れ桜の時期でどの樹も満開だったが、どれがその見事な樹なのかわからない。
そこで、坂道を歩くもんぺに手ぬぐいのおばあさんに聞いてみると「見に来るほど有名かどうかわからんが、その先の坂を上がったところに大きなのが1本あるよ。わしが子どものころは見事だったけどね。今は火葬だから……」と、最後は独り言のように説明してくれた。
快晴の下、汗をかきながら登っていくと結構大きな枝垂れ桜の桃色が見える。勇んで近くまで駆け寄ると、樹の根に食い込んで傾いたりしている古い墓石がいくつもあった。さっきまで感じていたさわやかな春風が、立ち止まったせいかヒンヤリしたものになったのを覚えている。
昭和3年に発表された梶井基次郎の「桜の樹の下には」という詩を、あのおばあさんは知っていたのだろうか。いや、知っていたとしても、昔から各地で身近な話だったんだろうと思う。
ちなみに魯桃桜は桜ではないとのことで、長野県林業総合センターのホームページのミニ情報に詳しく載っている。(土屋)
3月に入ってから目のかゆみと鼻水・くしゃみが止まらなくなり、例年より早い症状の発現に耳鼻科に駆け込んだ。診察後、花粉症患者でごったがえす待合室で待って、ようやく薬を出してもらった。今年は飛散量が多いせいか、症状が重く飲んでもあまり効き目がない。
厚生労働省のホームページにも花粉症特集のページがあり、「政府として関係省庁が一丸となって積極的に取組む必要のある疾病である」と説明しているが、薬や衣服の開発など一人一人の対症療法では本当に限界だと思う。
5人に一人という国民病との認識の上で、防災や国土保全の意味も含めた森林整備に充実した予算をつけ、根源的な改善をして欲しいなどと大仰な望みを考えてしまう。
卒園、卒業、入学、就職と晴れがましい行事が重なる季節なのに、花粉症患者にとってつらく悲惨な季節でもある。(土屋)
長野県内には日本の名水百選に選ばれている水がいくつもあるが、ここもその一つだ。看板には、「星降る里の黒耀の水」と書かれ、何万年も前から途切れることなく出ているとのこと。
水質がカルシウムやマグネシウムをあまり含まない軟水で、ご飯を炊く時やだしをとる時、お茶を入れる時などに使うとすごく美味しくなるとも聞く。また、アトピーの子を持つ親が汲みに来ているという話も聞いた。
水が出る4つの導管には、ポリタンクやペットボトルを持った人が群がって一杯だった。無料ということもあってか、中には、業務に使うのか20個以上のタンクを軽トラックに積んでいる人もいる。
山脇に雪が残る季節にノーマルタイヤの車がいくつかあったので見ると、みんな県外ナンバーだ。近くのスキー場に来たついでかもしれない。
順番を待って口に含んでみると確かにやわらかい感じがして美味しい水だった。(土屋)
白鳥の会が立てた看板には、白鳥のエサは米やキャベツなどの野菜等が主で、毎日定時に与えていることと菓子パンや油で揚げたような菓子は与えてはいけないことが書いてあり、初めて知った。
県内各地の湖沼・河川に飛来していた白鳥は、暖冬のせいか例年より早くシベリアに旅立っているという。旅立つ白鳥は若い鳥を真ん中に挟んで飛ぶと聞くし、翼を傷めたつがいの片方のためにシベリアへ帰らなかった白鳥の話なども記憶に残る。
浅薄だが、動物に限らず子どもや仲間に対する本能的な家族愛の話を聞くと、ニュースや報道で見るいじめや虐待の話等と重ね合わせ、相手を思いやる心について考えてしまう。(土屋)