名取市内でも津波被害の大きかった閖上(ゆりあげ)地区に、2019年4月、観光と交流の商業施設「かわまちてらす閖上」(以下、かわまちてらす)がオープンしました。名取川の堤防沿いにレストランやカフェ、海産物店などが建ち並び、食はもちろん散歩やツーリングなどアクティビティも楽しめる人気スポットとなっています。
また周辺では宅地開発が進み、地元の人たちの新たな交流拠点としても注目されています。
(株)かわまちてらす閖上の菊地祥弘さんは、「名取川堤防沿いのエリアは元々商店街があったところ。地元の人たちにとっては昔から身近な場所だった」と言います。
震災で大きく傷ついた閖上ですが、地元の商業者たちは「閖上にもう一度かつての賑わいを取り戻したい」と立ち上がり、名取川の景観を活かしてかわまちてらすをつくりました。
かわまちてらすをきっかけにまちづくりが前進すれば、定住者の増加につながるとの期待もあります。
「ここは閖上の復活の象徴。地域の期待の大きさをひしひしと感じている」と菊地さん。この夏、広場をステージにして開催したカラオケ大会には大勢の地元住民が参加し、その場で次の開催を待つ声があがるほど盛り上がったそうです。
オープンから約6ヶ月。かわまちてらすは平日にも関わらず、食事や買い物を楽しんだり、堤防沿いを散策したりする大勢の人で賑わっています。「土日の来客はさらに多い。芋煮やイルミネーション、お花見など様々なイベントを実施し、賑わいを継続していきたい」。
かわまちてらすはロケーションの良さでも人を惹きつけています。「この風景、素晴らしいでしょ」と菊地さんの指さす方を見れば、海と空に向かってゆったりと流れる名取川が目に入ります。風景を楽しみながら食事や買い物ができ、仙台の都心部からも近く気軽に足を運ぶことができます。
「震災を乗り越えて復活した閖上を見にきてほしい。そのためにこれからも閖上の魅力をかわまちてらすから発信していきたい」。
歩みは始まったばかり。閖上の賑わいがずっと続くよう、菊地さんたちは様々なもてなしのアイディアを繰り出しながら、お客さまを迎えています。
※2019年3月21日、みやぎ生協はコープふくしま・福島県南生協と組織合同しました。本誌のタイトルも「被災地のいま みやぎ生協・コープふくしまから宮城・福島のいまをお伝えします」に変え、福島県の現状についてもお伝えしていくようにいたします。
「仮設住宅にいた頃の方が良かった」。地域住民が集う「ふるさとサロン」で根本さと子さん(広野町社会福祉協議会、以下社協)は、参加者がつぶやくのを耳にしました。広野町の避難指示が解除になり、町民が徐々に戻ってき始めた頃のことです。
「自分は帰ってきても隣の家はまだ戻ってこない。お茶飲みする場も近くにない。仮設住宅なら集会所がすぐそばにあった。だから仮設住宅の方が良かった、ということなのです」と根本さんは住民の複雑な胸のうちを語ります。
ふるさとサロンは「帰ってきて良かったと思えるコミュニティづくり」を目標に、社協が月1回開催しているイベントです。参加者の多くは高齢者で、陶芸や園芸、畑づくりなど多彩なプログラムが特徴です。社協のスタッフが運転するバスで、桜や紅葉を見にいくこともあります。
サロンの回を重ねることで、仮設住宅を懐かしむ声は次第に減り、「ここに来て友だちに会えるのが嬉しい」「戻ってきて良かった」という声が増えました。
一方、同社協の佐野光男さんは「高齢世帯だけ町に戻り、子ども世帯は避難先に留まったままの家が多い」と、避難を機に家族の形が変わったことを指摘します。高齢者の中には避難先のいわき市でかかった病院に今も通院している人がいます。「だが自分で車を運転して行ける人は少ない。昔なら同居していた家族の誰かが送ってくれたが、今はそれができない」(佐野さん)などの問題も出ています。
町内には新しいオフィスビルやスーパーができていますが、病院や交通網など生活インフラの整備はまだこれからです。「復興しているという実感は薄い」と根本さんが言うように、町が今よりずっと住みやすくなるにはさらに時間がかかるのでしょう。
「帰ってきて良かったと思えるコミュニティ」を住民自身の手で築いていくのも、これからです。「私たちがいなくても活動できるよう、担い手を育てていければと思っています」。今はその助走期間。導きながら支えながらの取り組みが今日も続いています。
※2019年3月21日、みやぎ生協はコープふくしま・福島県南生協と組織合同しました。本誌のタイトルも「被災地のいま みやぎ生協・コープふくしまから宮城・福島のいまをお伝えします」に変え、福島県の現状についてもお伝えしていくようにいたします。
2019年9月10日(火)13時30分よりコープながの2階B会議室(長野市)にて、第3回介護福祉部会が開催され、長野医療生協、高齢者生協、コープながの、生活クラブ生協長野、事務局より6名が参加しました。丸橋部会長が開会の挨拶を行い、部会の進行を行いました。 続きを読む
山元町は町域の約4割が津波で浸水しました。被災した住民の多くは、内陸に移転したJR常磐線が通るつばめの杜地区などの新市街地に集団移転し、新たなコミュニティを形成しました。沿岸部に残って暮らすことを選んだ住民たちも、地域コミュニティの再構築に向けて歩み始めました。
山元復興ステーションは、山元町の委託を受けたNPO法人神戸まちづくり研究所が運営する団体です。2012年11月の発足以来、住民に寄り添いながらコミュニティづくりの支援を続けています。
「当初は逆風のなかでの活動でした」とステーションを率いる橋本大樹さんは言います。
行政とのコーディネーターとして参加した会議では“どうせ行政の代弁者だろう”と不信感を持たれ、不平や不満を聞くことから始めました。
信頼に変わってきたのは、ステーションの支援で住民自身が地域内の課題に取り組み、“自分たちもやればできる”という成功体験を積むようになってからです。
集団移転地に自治会ができた時、橋本さんは住民に「将来的には皆さんが自分たちで地域の問題・課題を解決できるようにならなければならない」と伝えました。
一つは人口減少が急激に進んだため。もう一つは、住民と行政の“協働”でまちづくりを進めてほしいとの思いがあったからです。
沿岸部の中浜地区は震災を境に世帯数が315世帯から26世帯に減りました。笠野地区も磯地区も世帯数は震災前より激減しました。
人口が減れば当然行政の職員も減ります。「すると、例えば草刈など今まで行政が担っていたことを地域が行なう時代になる。そうなった時に受け入れ態勢ができている自治会とそうでない自治会では、苦労の程度に差が出ます」。
少ない住民で地域をどう維持していくか…。「何から何まで行政に要望するのではなく、普段から、この課題は行政に任せる、この事業は行政と一緒に実施する、これは自分たちが担うという分別をしておくことが大切です」。
橋本さんは「協働とは、住民と行政が対等な立場で意見を言い合えること」と言います。住民が自分たちで地域の課題を解決しようとする気運も、そうした関係のなかから生まれるのでしょう。
震災から8年半。コミュニティ再生はこれからが正念場です。
9月3日(火)13時00分から生活協同組合コープながの2階B会議室(長野市)において、2019年度第2回長野県生協災害対策協議会が開催されました。コープながの、生活クラブ生協長野、長野医療生協、上伊那医療生協、セイコーエプソン生協、信州大学生協、全労済長野県本部、長野県高齢者生協の8会員生協にて構成し、当日は、4会員生協と県生協連事務局の6名が参加しました。 続きを読む