仙台湾を漁場に持つ亘理荒浜漁港には、ヒラメやカレイ、アナゴなど多種多様な魚介が水揚げされます。震災で漁船の数は半減しましたが、2011年12月には魚市場の修理がほぼ終わり、セリも再開しました。
しかし直後の2012年4月、東京電力福島第一原発事故による放射性物質の基準値変更で、ヒラメやカレイは出荷できなくなりました。「世界レベルよりずっと厳しい水準の基準値になり、検査結果が出る度、一喜一憂した」と、宮城県漁協仙南支所の橋元勇支所長は当時を振り返ります。
出荷規制は1年後に一部解除され、解除されたものから逐次、市場に出していきましたが、今度は風評被害に見舞われました。「買受人さんたちへの販売が振るわない時期もあったし、買受人さんや出荷者さんが取引先から産地証明を求められたりしたこともあった。実際に小売店さんなどと接する人たちは苦労したと思う」。
今は風評被害も収まり、亘理荒浜のブランド魚であるヒラメやカレイの多くが関東や近畿に出荷されていきます。2014年10月には漁港の目の前に産直の「鳥の海ふれあい市場」がオープンし、観光客や地元の人で賑わうようになりました。
その賑わいに一役買っているのが仙南支所婦人部の「浜っこかあちゃん市」です。もともと婦人部では安価な魚をさつま揚げなどに加工して販売していました。震災で人も施設も失いましたが、浜に活気を取り戻すため復活を果たしました。「住民はみな災害公営住宅や街に移転して、浜のコミュニティがバラバラになってしまった。だが浜っこかあちゃん市に来ると懐かしい顔に出会える。良い交流の場になっている」と橋元さんは喜びます。
震災後、新たに漁業を始めた人もいるという仙南支所。燃料や資材の高騰など漁業経営を取り巻く環境は厳しいのですが、橋元さんが「食べ物なら春はアサリ飯、夏はアナゴ飯、秋はハラコ飯、冬から早春にかけてはホッキ飯がある」と自慢するように、亘理荒浜には豊かな魚食文化があります。その豊かな海を生業の場に、浜の人たちの奮闘は続きます。
6月17日午前10時より長野市若里市民文化ホールを会場に長野医療生活協同組合第63回通常総代会が開催されました。
総代会には、定数263名に対し書面出席53を含め254名の総代が参加し、本年度の新入職員も傍聴する中で開会されました。
花岡理事長の挨拶に続き、議案の提案が谷口専務より行われました。谷口専務はこの中で、お金のあるなしに関わらず、必要な医療・介護が連携して切れ目なくすすめられる地域包括ケアをめざし、地域の医療機関、介護施設との連携を強めてきたこと、第三者評価機関であるJCEPの受審に取り組み高い評価を得たこと、働きやすい職場環境づくりをすすめてきたことなどが報告されました。一方、医師不足は深刻であること、労働環境の改善が引き続き重要な課題となっていることも話されました。
医療事業での診療縮小の影響もありながら、事業収益は前年比103.4%を実現し、二年連続で経常剰余の黒字を確保できたことが確認されました。
総代会席上、今年度の新卒採用職員64名全員が紹介され、代表の研修医から力強い決意表明がありました。また、山本前病院長の退任あいさつに続き、新病院長である番場理事から、人が人として尊重される医療活動を通して誰もが住みよいまちづくりに貢献するという基本理念に沿って、地域から信頼される病院づくりを強めていくことが宣言されました。
活発な意見が出された議案審議に続いて、討論のまとめが行われ、全議案が賛成多数で可決承認され、総代会は午後3時に終了しました。
6月13日(水)17時45分より諏訪市のセイコーエプソン本社エプソンホールを会場にセイコーエプソン生協第66回通常総代会が開催されました。
総代会には207名の総代定数の内、書面議決も含め169名が参加しました。
井出理事長の挨拶に続き、神定専務理事より第1号議案「2017年度事業報告・決算関係書類等承認の件」の提案が行われました。2017年度は、確実かつ安全な組織運営がすすめられ、厚労省による指導検査においても良好な運営との評価を受けたことが確認されました。また、組合員への徹底した貢献を掲げた基本方針に沿って事業に取り組み、組合員が前年度末比で690名増加、22,310名となったこと、事業運営においては、恒例の生活応援セールを内外への環境的な配慮から中止、代替としてより多くの組合員が利用できるイベント企画に取り組んだこと、また、食堂事業では新しい献立システムのテスト導入を開始、今年度6月から新メニューと健康情報を開示する新システムに移行することが報告されました。これらの取り組みの結果、総売上高で予算比+78百万円、経常剰余金も予算比+13百万円を達成し、一昨年より継続して出資配当後の当期純利益を確保できたことが報告されました。
議案採決は議案ごとに行われ、第1号議案の採決に続いて、第2号議案「2018年度事業計画および収入支出予算の件」、第3号議案「役員選任承認の件」、第4号議案「規約改正の件」、第5号議案「役員報酬の件」がいずれも全会一致で採択され、総代会は18時25分に終了しました。
総代会後に開催された理事会において、理事長に野村泰紀氏が新たに選任されました。
建物を破壊しながら道路を遡る津波の映像を、津波復興祈念資料館「閖上の記憶」で見ました。7年前の3月11日、閖上中学校から撮影されたものです。壊れた家屋がぶつかり合う音や避難した人たちの悲鳴に胸が押しつぶされそうになります。
「閖上の記憶」はNPO法人地球のステージ(※)が運営している資料館です。命の大切さや震災体験を伝承していくため、語り部講話や閖上を案内する活動に取り組んでいます。
シアタールームでの津波映像の上映もその一部です。館内には、子どもたちが震災後、心のケアのために作ったジオラマや旧閖上中学校で実際に使われていたロッカー、時計などが展示されています。
館長の小齋正義さんは「映像や被災物を目の前にして説明すると、あの日に起きたことをより分かっていただけるのではないか」と話します。頂上の神社が流失した日和山や襲来した津波の高さに合わせて建てられた8.4メートルの慰霊碑も、津波の凄まじさを伝えるために案内します。
一方で名取市には津波の直撃を受けた建物がほとんど残っていません。「校舎も公民館もすべて解体された。遺構が無いなかで、見学に訪れた人たちにかつての街並みを想像してもらい、震災の教訓を伝えなければならない。その難しさを感じている」とも言います。
「閖上の記憶」には修学旅行の子どもたちがよく訪れます。次世代に震災の教訓を伝えていくことも課題なのですが、容易ではありません。「日和山には昭和8年の三陸地震で建立された“地震があったら津波の用心”の碑があったのに、地元住民でさえ知る人がいなかった」。小齋さんは、そこにもまた伝え続けることの難しさを見ています。「今は津波警報が出たらみんな逃げるでしょう。しかし100年後、200年後はどうか。後世の人に語り継ぐには、例えば碑を建てたら数年に一度刻んだ文字に墨入れをするなど、行事として残していくことが必要なのだと思います」。
語り伝える難しさに直面しながら、「閖上の記憶」は現在の閖上でできることを考え、実施しています。
※NPO法人地球のステージは心療内科医・桑山紀彦氏が代表を務める団体。2012年4月、津波の犠牲になった閖上中学校の生徒14名の慰霊碑を守る社務所として、また閖上の住民のコミュニティの場、命の大切さや震災を伝承していく場として「閖上の記憶」を設置した。
2018年核兵器廃絶国民平和大行進が「核兵器のない世界」の実現を目指して実施されています。1958年にたった一人から歩き始めた平和行進は今年60周年の節目の年を迎えました。 続きを読む