長野県内の生協のさまざまな活動・事業を紹介します。

活動報告

被災地支援活動

―復興を担う女性たち― 「小さな人々にスポットを当てたい」 タガの柵(き)

画像:タガの柵

多賀城市は、千年前の大津波が古文書(※)に記されている町です。貞観地震によるもので「千年に一度の大津波」という表現はここから来ています。東日本大震災では工業地帯や市街地を津波が襲いました。大きな製油所火災が起き、浸水域は町の3分の1に及びました。
「いま街を歩くと、本当に津波が来たの?と思うぐらい復興はした。でも小さなところに目を向けるとまだまだだと思う」。多賀城市でコミュニティカフェ「タガの柵」を運営する松村正子さんは、そう言います。
松村さんは震災後ふるさとの多賀城に戻り、母親が参加していたまちづくりの市民活動を手伝うなかで、地元の小さなお店や商品の作り手と知り合います。「震災で苦労して再建した話やこだわりを持ってモノを作っている話を聞き、その感動を地域住民や観光客にも届けたいと思ったんです」。
松村さんは地元の小さな店や作り手の思いが伝わる商品を販売できる場所をつくろうと考え、起業家育成の講座に通ってノウハウを身につけます。そうして2014年夏、JR陸前山王駅の目の前に「タガの柵」をオープンさせました。
「タガの柵」のユニークなところは、地元の店と連携した体験ツアーやイベントにも取り組んでいることです。商店街ツアー、味噌づくり体験、コーヒー教室などお店の人と交流しながら、多賀城の魅力を知る内容になっています。「復興の大きな歩みのもとでは目立たないが、震災を乗り越え、地道に歩んできた“小さな人々”にスポットを当てたい」という松村さんの願いが、そこには込められています。
震災を学ぶツアーも行なっています。「ツアーで回ったお店の人が自分たちでさえ震災を忘れることがあるのだから伝えていかなければ、と言っていた。時間が経ったから喋れるという人もいる。復興した街並みを見るだけでは伝わらない部分を伝えていくのも大切だと感じています」。
タガの柵には様々な人が集います。「多賀城で新しい活動をしたい、被災した地元に何か還元したいと考えている人たちを応援し、つなぐ場でありたい」。松村さんの考える多賀城の復興とは、そうした“小さな人々”が生き生きと活躍できる町になること。ふるさとへの思いをタガの柵に託して、発信を続けています。

※『日本三大実録』 869(貞観11)年、貞観地震による大津波が陸奥の国府多賀城まで押し寄せ、千人が死亡したと記されている。

タガの柵 http://taganoki.wixsite.com/home


―復興を担う女性たち― 「復興の目撃者になってください」 ホテル・エルファロ共同事業体

▲客室は全部で63室、約165名の宿泊が可能。「エルファロも女川の町もアットホーム。お客様を温かく迎えようという雰囲気に満ちています」と佐々木里子(さとこ)さん。

 「震災で両親も旅館も失った。親の死が受け入れられず事あるごとに泣いていた。家族には涙を見せないようにしていたけど、娘たちが気付いて“お母さん泣いていいんだよ”と言ってくれたんです」。その言葉で、佐々木里子さん(ホテル・エルファロ共同事業体代表)は再び旅館を営む決意をしました。

 女川町にあった旅館や民宿の半分以上が津波で被災したなか、佐々木さんは同業者3人とともに2012年12月、トレーラーハウス40台を活用してホテルをオープンさせました。ホテル名はスペイン語で灯台という意味の「エルファロ」にし、トレーラーの外壁は「がれきの中、花畑のような心和む空間をつくりたい」とパステルカラーに彩りました。

 開業から数年、エルファロはボランティアや復旧工事関係者、視察団体などの宿泊施設として女川の復興に貢献してきました。最近は、ボランティアを機に親しくなった町民に会いに来たり、おながわ秋刀魚収穫祭などのイベントを楽しみに訪れたりするリピーターが増えたそうです。「もう、被災して悲しい町ではなく、楽しく遊びに来られる町になりつつあるんです」と佐々木さんは喜びます。

 2017年8月、エルファロは女川駅のすぐそばに移転し、新たなスタートを切りました。

 駅前にはレンガ道沿いに雑貨店や飲食店が並び、賑わいを見せています。「一歩外に出れば海があり、手作り体験のできる工房がある。さらに女川は水産業、商業、観光業の間に壁がないので、宿泊やアクティビティの企画を立てる時も“これ俺たち手伝えるよ”とすぐ応えてくれる」。

 その環境を活かし、エルファロは、温泉、バーベキュー、ダイビング、タイル絵付け、石けん作りなど、地元の事業者たちと連携した様々なプランを提供しています。「町にお客様を呼ぶには“業”を超えてつながりあうことが大切だと実感しています」。

 佐々木さんは語り部活動などでよく「復興の目撃者になってください」という話をします。「ページをめくるように町が変わっていく。その経過を見てください。遊んで帰った後、再び1年後に来ていただいて変化を感じてください。それが女川を元気にしてくれますし、支援になります」。

 復興という“光”を観に、もうじき8年になる被災地へ。エルファロは名前の通り、観光客を迎え入れる灯台となっています。

 

※ホテル・エルファロ https://hotel-elfaro.com/


―復興を担う女性たち― 「自分で選び、自分たちの手で解決する」 石巻復興支援ネットワークやっぺす!

画像:石巻やっぺす

震災は、地元の女性たちが元々感じていた子育てのしづらさや就労の難しさに拍車をかけました。被災による心の傷がそこに加わり、回復をより難しくしました。

「自分の足で立ち上がるには、成功体験を積み、生きがいと仕事を取り戻していかなければ」と石巻復興支援ネットワークやっぺす!(以下やっぺす)の兼子佳恵さんは、震災直後、支援活動に携わるなかで痛切にそう感じました。 続きを読む


縁をつないでいく南三陸町の商店街

南三陸さんさん商店街

2012年に仮設商店街として営業を始め、昨年、場所を移転し本設商店街として新たなスタートを切った南三陸さんさん商店街(志津川地区)。オープンから1年5カ月目の2018年8月、来場者が100万人を突破しました。本設移転の前に抱いていた様々な不安をかき消すかのように、商店街には晴れやかな気分が広がっています。

㈱南三陸まちづくり未来(以下まちづくり未来)の菊地眞人常務は、「たくさんのメディアが取材に来て伝えてくれた。さらに震災直後から支援してくださっていた方々が友人や親せきを連れて来たり、中高生が体験学習で訪れたり、旅行会社が商店街に立ち寄るツアーを企画したり、多くの縁のおかげで、短い期間で100万人ものお客様をお迎えできた」と話します。 続きを読む


「食べていただくことが石巻の水産復興につながる」

画像:渡波水産加工

石巻の水産業者たちが、震災後、石巻市水産復興会議という組織を立ち上げ、一丸となって、真っ先に行なったのは冷蔵庫にあった製品の廃棄処理でした。各社から人が出て“今日はこの会社の冷蔵庫、明日はこの会社の冷蔵庫”と振り分けし、3カ月かけて処理しました。

「海があり、船があれば漁はできる。仮設の魚市場が建てば水揚げができる。しかし加工場がなければ出荷はできない。そこで加工場の冷蔵庫に残っていた製品を全部捨て、受け入れ環境を整えることから始めたんです」。渡波水産加工業協同組合の木村安之専務理事は、当時をそう振り返ります。 続きを読む