これからも待ち受けるハードル
沿岸部の景色はまだら模様に変化してきました。がれきの処理が終わり、土地の嵩上げ工事や復興住宅の建設が進む一方で、壊れた防波堤や水門、建物がいまだに残る場所もあります。 仮設住宅には現在も約7万人が暮らし、集団移転事業で住宅建設が可能になった宅地は計画の3割にも達しません(※)。造成工事が長引き、地価や建築費の高騰でより厳しい状況に直面している人や、移転を待ちきれず故郷を出た人たちもいます。
南三陸町志津川地区まちづくり協議会は、住民による自主的な復興まちづくりを進めるため、集団移転や市街地形成など様々な協議を重ね、意見を集約して行政に提言しています。
「4年も経つので住民の間には焦りや不満が出ている」と協議会の及川善祐会長は話します。「しかし我々住民の気持ちがバラバラでは統一したまちづくりはできない。そうならないように良い方法を決めて、協力し合う環境をつくっていくのが協議会の役目です」。
集団移転一つとっても区画配置、移転方法、店舗付住宅の内容など懸案事項は無数にあります。さらに高齢化が進む移転先で買物や病院、交通など生活に必要なインフラをどう確保するか、個々のニーズと公平性のバランスをどうとっていくかを考える状況が続きます。
志津川地区には3ヶ所の集団移転団地が計画されています。工事完了はまだ先で、なかには再来年引き渡し予定の区画もあります。家が建つのはその後で、さらに新コミュニティ形成という最大の課題が待ち受けています。及川会長は「いままで交流のなかった者同士が隣組になる。そのなかで新しいコミュニティをつくっていかなければならない」とその難しさを説明します。
ハードルはまだまだ幾つも残っています。被災した方々がそのハードルを飛び越える過程で確実に希望の種を増やしていくことを祈らずにはいられません。