第42回2017年2月5日
震災で親を亡くした子どもと家族に寄り添う
宮城県では1,066人の子どもが震災で親を亡くしました(※)。津波の後で親の死を知った時の絶望、未だ行方不明の親を想う辛さは、想像に余りあります。
あしなが育英会は2014年、東日本大震災で親を亡くした子どもとその家族が集う「レインボーハウス」を仙台、石巻、陸前高田に開設しました。
レインボーハウスは阪神・淡路大震災をきっかけに誕生した心のケアの活動拠点です。東日本大震災が起きた時、若宮紀章さん(あしなが育英会東北事務所)は「東北にもすぐレインボーハウスが必要になる」と思ったそうです。
石巻レインボーハウスの開設準備中、こんなことがありました。どんな施設を建てたいか、子どもたちに工作で表現してもらったところ、母を亡くした小学1年生の子が部屋の片隅にお墓を作ったのです。お墓の中には紙の人形が入っていました。
「その子なりの感情表現だったのだと思う。亡くなった家族の話は学校でも家庭でも話しにくい。成長とともに自分の気持ちを言葉で表現できるようになるが、神戸の震災で親を亡くした子たちは“今も簡単には言えない複雑な感情がある”と口にする。東北の子たちも同じ辛さを抱えるだろう。それだけに長いスパンでの寄り添いが大事だ」と若宮さんは言います。
また「心の内側は6年前の3月11日からあまり変わっていないんじゃないか」と感じる時もあるそうです。「“変わってない”部分は、繊細で複雑で困難なことが多い」と言います。それを吐き出すことなく内に溜めていけば、心は疲弊する一方でしょう。「レインボーハウスで同じように家族を亡くした人たちと語り合い、自分の気持ちを表現することで前に進むきっかけを見出す。そのお手伝いができれば」というのがレインボーハウスに携わる人たちの共通の思いです。
震災遺児・孤児を支援するため行政をはじめ各支援団体がさまざまな活動を行なっています。レインボーハウスはその一角を担うものですが県内の震災遺児・孤児すべてとつながるのは困難です。子どもが望めばいつも手が差し伸べられる環境をつくるのは大人の責任です。そのために何ができるか、これからも考えていかなければなりません。
※宮城県「本県の震災遺児・孤児の状況」(平成28年7月31日現在)