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長野県の生協活動は、60年前に県連設立当初の組合員数5万人というところから出発し、今では会員数21生協、組合員数約37万人、事業高では580億円になろうとしています。
この間、県連活動として幾多の困難に遭遇しつつも、なんとかこの良き日を迎えることが出来ました。これもひとえに、県内各地域で日頃から生協活動を支えていただいている組合員をはじめとした皆様方の、あたたかなご支援とご協力の賜物であり深く感謝申し上げます。あわせて、この栄えある伝統を積み重ねてこられた歴代役職員、諸先輩方のご努力にも心から敬意を表します。
さて、一言で60年といってもこの年月には大変なものがあります。先輩方が歩んでこられた貴重な足跡を私如きが、軽々に語るわけにはいきませんが、私が直接県連の活動と関わるようになった範囲で述べますと、今から、ちょうど30年前の1978年、当時の長野生協の経営再建が最初の契機でした。その直後に、支援元である飯田生協の経営破たんも体験する中での、大変厳しい再建活動でした。
「地域に生協の火を消してはならない」といった、当時の組合員の切実な願いを受け止めた県連理事会の強いリーダシップのもとに、日本生協連はもとより県連傘下の職域、医療、大学などの業種の異なる生協も一致団結して組織を挙げての支援が実現し、この経営危機を乗り越えることができたのを昨日の事のように思い出します。
その後、今日まで県連活動を通してわたくしが学んだことは、文字通りの「連帯と協同」の大切さです。どんな時でも「一人の百歩より、みんなの一歩」を大事に、一方的な私の都合、組織の都合ではなく、組合員のために地域の生活者のためにということと、生協の社会的役割である「平和で豊かなくらしの実現」にむけて、より多くの人と共にすすめる事が大切なのだということを、この間の活動の中から学ばせて頂きました。
本年は生協法施行60周年でもあり、昨年改正された新生協法施行の初年度という大変意義ある年でもあります。一方で、私達国民のくらしをめぐる状況はきわめて厳しくなっています。
県民一人ひとりが真に平和で人間らしく心豊かなくらしができるようにすることと、持続可能な地域社会の実現が今ほど切実に求められている時はありません。
わたしども県生協連としましても、この歴史的な節目を契機に、会員生協はもとより組合員お一人おひとりと、もっとしっかり向き合い、地域の皆様方とのコミュニケーションを一層深め、各地域での「心の通った助け合いと協同の街づくり」に少しでも貢献できればと思っております。今後も変わらぬご支援をよろしくお願い致します。(清水)
本年は県連創立60周年に当り、10月30日には記念式典、来年1月には記念講演会が計画されています。合わせて現在、米原俊夫前会長(現、名誉会長)を編集責任者に60周年記念誌の作成が進んでいます。この間、清水会長、米原名誉会長、大熊通夫顧問による座談会、木村輝夫顧問のインタビューも終了し、初回の入稿を終えました。
座談会、インタビューに同席する中で、当時の様々なエピソードと共に多くのことを学ぶことができました。記念誌の発行に先立ってそのさわりとして、私が学んだことのいくつかをお伝えします。
歴史の教訓 その1 「嵐(経営難)が組織と人を鍛えた」
長野生協、飯田生協の経営不振とその再建時期(1978年前後)は県連60年の歴史の転換期ですが、一連の経営再建は関係者のまさに命を賭したご努力で成し遂げられました。
「何としても飯田生協はつぶせない。これをつぶしたら単なる一単協の問題ではなくて、生協運動全体、特に長野県なんかは決定的な打撃を受ける」という木村顧問の言葉は大変印象的でした。そうした認識が多くの生協人の不眠不休の活動を生み出し、経営再建を成し遂げると共に、県内生協の結合体としての県生協連の強固な団結力を生み出しました。また、その経験が、その後10次に渡る県連中期計画に基づく戦略的な地域生協づくり、健全経営を保障する外部監査の早期導入、拠点生協づくりへとつながり、さらに、苦楽を共にした経験が拠点生協づくりでのお互いの違いや対抗意識を乗り越えた大同団結を実現させました。
歴史の教訓 その2 「人材育成が組織を発展させる」
大熊顧問は県内連帯の話題の中で、早い時期から海外の生協を視察して視野を広げられたこと、宮城県の連帯状況をみんなで学んだことなどを語られ、人材育成の重要性を強調されました。また、木村顧問からは経営再建の中で、「店舗経営などものすごい勉強をさせられた」と語られました。私たちは、先輩諸兄の足跡をきちんと後に続く人たちに伝えると共に、次代の生協を担う人材を育てていけなければいけないと痛感しました。
歴史の教訓 その3 「会員生協を支える県連の役割」
木村顧問は「飯田の経験から、県連が常勤体制を組み、平素、単協に飛んで行っちゃあチェックするとか助言をすることが大事だとわかった」と語っています。確かに80年代から90年代のかけて、県連は会員生協の結集のもとにそうした機能を果たしてきました。今日の会員生協を取り巻くきびしい環境をみるにつけ、県連事務局に課せられた責務に身の引き締まる思いがしています。自らの非力さを感じながら、会員生協に果たす県連の役割を再認識しています。
今回の座談会とインタビューを通じて、私達の知らなかった事実や当時の関係者の思いをたくさん知ることができました。生協連の歴史は長野県の生協の歴史であり、それは関った専従役職員、組合員の歴史です。先人の「夢とロマン」、それに伴った苦労を、これからの生協活動に遺伝子として残していくことが今回の60周年事業の役割です。(小松)
この間、食料自給率の向上が急務だとする声が高まっている。この課題を解決するのは一朝一夕では極めて難しい。農業そのものの再生に向けて取り組むのは当然のことではあるが、一方でこのような事態を招いた要因に、私達の食生活が戦後大きく欧米化したことが上げられる。とりわけ、戦後のアメリカによる占領政策で、わが国における学校現場での、米国製小麦粉と粉ミルク(脱脂粉乳)の普及を背景にしたパンとミルクの完全給食の推進により、従来の米飯を中心とした和食から、パン・肉食を中心の洋食へと数十年を経て大きく変えてしまった。私達の食生活への影響は大きいと思う。
このような状況下で、今、学校給食法が半世紀ぶりに見直されようとしている。この動きの中では、学校給食の目的が当時の「栄養改善」から「食育」へと大きく転換されようとしている。大いに注目をしたいと思う。
私は、今こそ、これから未来を背負っていく現在の子供たちの食生活を、かつてがそうであったように学校給食を軸に中長期の視点で見直しを図っていく必要があると思う。このことを通して、私達の食生活全般が見直され、結果として自給率アップにつながるようにもっていけないのかと考えている。具体的には、今回の学校給食法改正を受けて、現在の県内での米飯給食、週当たり3回(全国2.9回)の水準を更にもう1回増すことが出来ないものか思う。
実は、この学校給食の米食推進は単に米の利用が増えるだけでなく、それに伴ってパン食を中心とした洋食化から、米飯を中心とした給食全体の和風化がすすめられ、新鮮な野菜の利用にもつながり、惹いては給食のおかずが地場農産物の積極的な利用や郷土食へと広がっていく可能性をも秘めている。
全国の学校が一斉にそのことを追求すれば、直ぐにでも米の消費は一気に高まり、副食としての野菜の利用も大きく伸びるはずである。もしこれが実現できれば、中長期での自給率アップには極めて大きな効果がある。
また子供たちは、地域にどんな美味しい農産物や郷土料理があるのか、どの時期どんな作物をどんな方法で食べれば一番おいしいのかを理屈抜きに学べることができ、体験もでき、まさに本来の食育の場にもなると思う。さらに、この活動を親子、生産者、先生方や、そこに暮らす地域の人と一緒になって進めながら食生活全般を見直し、生産、流通、消費の地域内の循環が高まっていくようになれば、こんな良いことはない。
自給率向上を、長期的視野に立って私達自身の食生活のあり方、とりわけ子供たちの食生活や学校給食の見直し活動を、みんなで考えてみることが大事ではないかと思っている。
その意味でも食育の分野での生協の果す役割が極めて大事ではないかと思う。(清水)