生活・自然・まちづくり。感じた想いを綴ります。
本年は県連創立60周年に当り、10月30日には記念式典、来年1月には記念講演会が計画されています。合わせて現在、米原俊夫前会長(現、名誉会長)を編集責任者に60周年記念誌の作成が進んでいます。この間、清水会長、米原名誉会長、大熊通夫顧問による座談会、木村輝夫顧問のインタビューも終了し、初回の入稿を終えました。
座談会、インタビューに同席する中で、当時の様々なエピソードと共に多くのことを学ぶことができました。記念誌の発行に先立ってそのさわりとして、私が学んだことのいくつかをお伝えします。
歴史の教訓 その1 「嵐(経営難)が組織と人を鍛えた」
長野生協、飯田生協の経営不振とその再建時期(1978年前後)は県連60年の歴史の転換期ですが、一連の経営再建は関係者のまさに命を賭したご努力で成し遂げられました。
「何としても飯田生協はつぶせない。これをつぶしたら単なる一単協の問題ではなくて、生協運動全体、特に長野県なんかは決定的な打撃を受ける」という木村顧問の言葉は大変印象的でした。そうした認識が多くの生協人の不眠不休の活動を生み出し、経営再建を成し遂げると共に、県内生協の結合体としての県生協連の強固な団結力を生み出しました。また、その経験が、その後10次に渡る県連中期計画に基づく戦略的な地域生協づくり、健全経営を保障する外部監査の早期導入、拠点生協づくりへとつながり、さらに、苦楽を共にした経験が拠点生協づくりでのお互いの違いや対抗意識を乗り越えた大同団結を実現させました。
歴史の教訓 その2 「人材育成が組織を発展させる」
大熊顧問は県内連帯の話題の中で、早い時期から海外の生協を視察して視野を広げられたこと、宮城県の連帯状況をみんなで学んだことなどを語られ、人材育成の重要性を強調されました。また、木村顧問からは経営再建の中で、「店舗経営などものすごい勉強をさせられた」と語られました。私たちは、先輩諸兄の足跡をきちんと後に続く人たちに伝えると共に、次代の生協を担う人材を育てていけなければいけないと痛感しました。
歴史の教訓 その3 「会員生協を支える県連の役割」
木村顧問は「飯田の経験から、県連が常勤体制を組み、平素、単協に飛んで行っちゃあチェックするとか助言をすることが大事だとわかった」と語っています。確かに80年代から90年代のかけて、県連は会員生協の結集のもとにそうした機能を果たしてきました。今日の会員生協を取り巻くきびしい環境をみるにつけ、県連事務局に課せられた責務に身の引き締まる思いがしています。自らの非力さを感じながら、会員生協に果たす県連の役割を再認識しています。
今回の座談会とインタビューを通じて、私達の知らなかった事実や当時の関係者の思いをたくさん知ることができました。生協連の歴史は長野県の生協の歴史であり、それは関った専従役職員、組合員の歴史です。先人の「夢とロマン」、それに伴った苦労を、これからの生協活動に遺伝子として残していくことが今回の60周年事業の役割です。(小松)