生協連がお送りするフォトブログです。随時更新中!
道路の端っこ、庭木の根元、家の北側や日陰の場所、いたるところに緑のコケが目につく。
盆栽や箱庭にも使われて小宇宙を作り、「わび」「さび」といった日本の風情をかもし出す道具にもなる。雨など空気中の湿気が増すと、コケの緑色も濃くなる気がするし、やわらかそうなフワフワの雰囲気が良い感じです。日本はアメリカに次いで世界で2番目に種類の多い国だとか。
ご存知ですよね、ことわざの「コケの一念岩をも通す」のコケは、この蘚苔類のコケとは違うこと。(土屋)
車を降りて道沿いの渓流に分け入ると、枝分かれしながら張る薄氷があった。夜の寒さで重なったのか、四方八方に結晶した氷が、二重三重に束ねたように広がっている。見ようによっては不思議な模様となっていてきれいだ。
まわりの音といえば、氷の下を流れる水がコポリコポリとくぐもって聞こえるだけで、それが逆にあたりの静けさを増幅させていた。(土屋)
私の住んでいる地域の三九郎が、14日(月)の成人の日に行われた。12月にPTAの役員が中心となる木を山から切り出し、翌週には田んぼのはぜ木も使って、三角に組み立て準備をした。
14日当日は、朝8:30から「松集め」。軽トラック3台で、小学生の子どもたちと一軒一軒、使い終わった「正月飾り」や「だるま」を集めて回った。寒かったが子どもたちも嫌がらずに回ってくれた。
ずいぶん集まり、にぎやかになった。10時に点火。瞬く間に燃え盛り、火が小さくなったところで、てんでに「繭玉」を木の枝の先に指して火にあぶり、火が通ったところで食べた。
来年も、その次の年も、無病息災、五穀豊穣を願う三九郎の行事が続いていくことを祈っている。(小松)
天頂近くに赤く火星が光る寒い道を歩き、参拝者の行列の最後尾に並んだ。参道には、露天商の電球の光と美味しそうな匂いが漂う。30分ほど並んでお参りし、厄除けの「蘇民将来符(そみんしょうらいふ)」を求めた。
六角形の蘇民将来符には「大福・長者・蘇民・将来・子孫・人也」と二字ずつ書かれていて、頒けられた人は、家の玄関や屋内の棚、神棚などに置いている。この厄除けのお守りは、形が紙や木の板などに変わっても北は青森県のお寺から南は長崎県壱岐の島まであるとのこと。
ちなみに、信濃国分寺は天平時代に全国に建立された国分寺の一つで、三重塔は国の重要文化財にも指定されている。八日堂縁日は、正月7日と8日のみで、「蘇民将来符」のほかに縁起物の「だるま」も売られていた。(土屋)