生協連がお送りするフォトブログです。随時更新中!
この遺跡の発掘は東北地方に縄文時代から高度な技術力を持つ大規模集落があったことを証明し、日本中に衝撃を与えた。
学習館に展示されている土器や石器、ヒスイの玉や板状土偶の豊かな表情を見ながら、みちのくの豊かな自然の中に生きた縄文人の生活に思いをはせた。(両澤)
青森ねぶたは歌舞伎人形燈篭が主で、跳人が勇ましく飛び跳ねるのが特徴である。
4tもの山車に続き、「ラッセ、ラッセ」という掛け声を出しながら、迫力ある囃子の太鼓や笛の音に合わせて跳人の踊りが披露される。
2時間あまり、短い夏に乱舞する青森ねぶたを堪能した。(両澤)
一時の雨の晴れ間に渓流沿いの遊歩道を歩いてみた。
岩の間をほとばしる清流、さまざまな植物が生い茂る水際の小道、苔むした倒木や、躍動感あふれる滝。
奥入瀬渓流はまさしく千変万化の水の流れが生み出す自然美の宝庫だった。(両澤)
今回、当会理事の両澤増枝様より、写真と原稿をお送りいただき、掲載しました。どなたからの投稿も歓迎します。
最初は葉っぱかと思ったが、目を凝らしてみると頭がとがった、2センチほどの小さいバッタである。オンブバッタの幼生らしく羽がまだ生えていない。羽があってもあまり飛ばない種類らしい。こんな団地の中へどこから来たんだろう。
休日に家の塀の塗り替えでハケを動かしていると、端のほうにいたこのバッタが、塗るのに合わせて徐々に塀を移動していく。2時間ほどかけて反対側の端近くまで塗り終わると、バッタも塀の先端にたどり着いていた。
猛暑の中を一緒に仕事をした仲間のような気分になってしまい、つかまえて少し離れたところの草ぼうぼうの空き地へ離してやった。同じ色の草の中に入り見分けがつかない。空き地はほんの少し涼しい感じがした。(土屋)
冷涼な風に様々な花々が咲き乱れ、トンボが群れをなして飛び、立秋を過ぎても暑さの和らぐ気配がない町場とは別世界だ。
アザミは、秋の山野を彩る花の代表として、赤紫や青紫の花を咲かせる。写真は湯の丸高原で群れて咲いた中の一つを接写したもの。日本には80以上も種類があり、キソアザミやトネアザミのように○○アザミという名前がついていて、単に「アザミ」という学名の種類はないのだという。
アザミといえば、童謡(だと思う)の一節「あざみのギザギザのこぎり葉 葉っぱであんよを ケガしたの」がいつも頭に思い浮かぶのだが、メロディーも前後の歌詞もタイトルも、まったく思い出せない。ご存知の方がいたら教えて欲しい。(土屋)
長野県内では月遅れの8月7日に行われることが多いと思う。子どものころ、笹に願い事を書いた短冊を結びつけて軒先に立てたり、織姫・彦星の話をしてもらったことを覚えている。
松本市の伊勢町商店街を歩いていたら、店のディスプレーや窓などに紙の人形が飾られているのに気づいた。全国には、色紙や千代紙で作った七夕の人形を飾るところがあり、松本市や大町市にも伝承されているのだという。「七夕人形」を軒端に吊るすという習俗は江戸期から伝わっているらしく、日本民俗資料館(松本市)にある人形には、国の重要民俗資料に指定されているものがあると聞いて驚いた。
松本市中央公民館では、紙で作った大きめの人形に、子ども用の浴衣を着せたものが展示されていた。地域に残る風俗を見ると何だかうれしくなる。(土屋)
昔も夏休みの定番といえばラジオ体操だった。全国ラジオ体操連盟のホームページを見ると、昭和3年に国民保健体操という名称でラジオ放送されたのが始まりと書いてある。80年近く前からあったのかとびっくり仰天である。
子どもにくっついて公園に行くと、懐かしい歌が始まった。「あ~た~らしい朝が来た、希望の朝だ」、現在も歌われているこのラジオ体操の歌は、昭和31年にできたものだとか。そして、ラジオ体操の第1は老若男女を問わず誰でもできるところ、第2は第1よりやや運動量を高めて、体をきたえ筋力を強化するところにポイントを置いているとのこと。
終了後、子どもがラジオ体操カードにはんこを押してもらっていた。家族旅行などに縁のない家に育った自分は、はんこの欄が皆勤だった。
朝から身体を動かし、爽快な一日を始めることができた。明日も行こう。(土屋)