生協連がお送りするフォトブログです。随時更新中!
見ると民家の庭先の梅が満開状態になっていましたので、カメラに収めました。
つい先週まで寒の戻りのような寒さだったのが、週始めの低気圧の通過で一気に暖かくなったためのようです。
「梅は中国原産。奈良時代の遣隋使か遣唐使が中国から持ち帰ったらしい。そのころは桜より愛でられたが、平安時代からは桜のほうに関心が移っていったらしい。「万葉集」の頃は白梅が、平安時代になると紅梅がもてはやされた。万葉集では百首以上が詠まれており、 植物では萩に次いで多い。」とホームページ「季節の花300」の梅のコーナーにありました。
梅の開花は春の訪れを感じさせ、気持ちが浮き浮きしてきます。(小松)
同じ地域や田んぼによっても違いがあると思うが、一般的に言われるのは昼夜の寒暖の差が大きいと米の美味しさや収量が増えるということで、長野県の気候と合致している。
米の消費量が年々落ちていると聞く。毎日食べても飽きないこんな素晴らしい食糧はないと思うし、健康や食料自給率の観点からもご飯食を大事にしたい。
自分では、様々な店(お米屋さん)でいろいろ食べ比べ、価格も含めて判断したいという思いがあるが、難しいので生協ブレンドの県産米を食している。これが、けっこう美味しい。
お米で時々思い出すのは、宮本輝原作・小栗康平監督の「泥の河」というモノカラーの映画だ。その中で少女が米びつの米を触りながら「お米、温かいんやで」と言う場面がある。せつなくて、とても印象に残っている。(土屋)
4、5台停められる駐車スペースに車を入れて、しげしげ眺めた。
市町村合併で長野市になった旧大岡村の芦ノ尻地区の道祖神で、超有名らしい。道祖神の石碑にワラで作った神面をかぶせてあって、その風貌のおかしさ、愛らしさに思わず笑みがこぼれる。
脇に立っている長野県教育委員会の看板には、県指定の無形民俗文化財で、正月の7日に各家々から松飾の注連縄(しめなわ)を持ち寄って飾り付けると書いてある。悪霊を防ぎ、無病息災を祈って一年飾った神面はどんど焼きで自然に帰すとのこと。地域の人々にとっては、とても大事な行事だろう。
何の気なしに通った道で素晴らしいものに出会い、温かく幸せな気分になった。(土屋)
桜といえば、4、5年前、東信地方の有名な枝垂れ桜を探しに行ったことがある。丁度、枝垂れ桜の時期でどの樹も満開だったが、どれがその見事な樹なのかわからない。
そこで、坂道を歩くもんぺに手ぬぐいのおばあさんに聞いてみると「見に来るほど有名かどうかわからんが、その先の坂を上がったところに大きなのが1本あるよ。わしが子どものころは見事だったけどね。今は火葬だから……」と、最後は独り言のように説明してくれた。
快晴の下、汗をかきながら登っていくと結構大きな枝垂れ桜の桃色が見える。勇んで近くまで駆け寄ると、樹の根に食い込んで傾いたりしている古い墓石がいくつもあった。さっきまで感じていたさわやかな春風が、立ち止まったせいかヒンヤリしたものになったのを覚えている。
昭和3年に発表された梶井基次郎の「桜の樹の下には」という詩を、あのおばあさんは知っていたのだろうか。いや、知っていたとしても、昔から各地で身近な話だったんだろうと思う。
ちなみに魯桃桜は桜ではないとのことで、長野県林業総合センターのホームページのミニ情報に詳しく載っている。(土屋)
3月に入ってから目のかゆみと鼻水・くしゃみが止まらなくなり、例年より早い症状の発現に耳鼻科に駆け込んだ。診察後、花粉症患者でごったがえす待合室で待って、ようやく薬を出してもらった。今年は飛散量が多いせいか、症状が重く飲んでもあまり効き目がない。
厚生労働省のホームページにも花粉症特集のページがあり、「政府として関係省庁が一丸となって積極的に取組む必要のある疾病である」と説明しているが、薬や衣服の開発など一人一人の対症療法では本当に限界だと思う。
5人に一人という国民病との認識の上で、防災や国土保全の意味も含めた森林整備に充実した予算をつけ、根源的な改善をして欲しいなどと大仰な望みを考えてしまう。
卒園、卒業、入学、就職と晴れがましい行事が重なる季節なのに、花粉症患者にとってつらく悲惨な季節でもある。(土屋)