長野県内の生協のさまざまな活動・事業を紹介します。

活動報告

2018年度第3回医療部会報告を開催しました

2019年1月24日(木)13:00より、信州大学生協あづみホール食堂(松本市)にて、2018年度第3回医療部会が開催され、長野医療生協、東信医療生協、上伊那医療生協及び長野県生協連事務局の4名が出席しました。 続きを読む


下期役職員研修会を開催しました!

長野県生協連は2019年1月25日(金)、ホテルメトロポリタン長野において、2018年度下期役職員研修会を開催し、会員生協や協同組合連絡会、長野県虹の会会員から60名が参加しました。県生協連の関佳之専務理事の司会進行で始まり、冒頭、上田均会長理事より主催者を代表して挨拶がありました。 続きを読む


2019年賀詞交歓会を開催しました

1月25日(金)17時00分よりホテルメトロポリタン長野(長野市)3階・浅間の間において、2019年長野県生協連賀詞交歓会が開催されました。長野県副知事、国会・県議会議員・秘書、友誼団体、報道各社、長野県虹の会(お取引先様)、会員生協の役職員を合わせ83名が和やかに交流を深め、大変有意義な賀詞交歓会となりました。 続きを読む


「希少なパステル染めを、気仙沼の人の手で育てていきたい」 株式会社インディゴ気仙沼

インディゴ気仙沼は、天然インド藍を使った染色サービスとオリジナル商品を制作販売する会社です。始まりは、2015年に代表の藤村さやかさんが子育てサークルの友人2人と「子連れで働ける職場を」と立ち上げた染色工房でした。「インディゴ(※)は気仙沼の海の青をイメージさせる。染色の作業なら乳飲み子をおんぶし、空いた手でできる。そう話し合ってスタートしたんです」。
しかし染色は全員未経験。先達に教えを請いながら、自分たちが作りたい染めを探す毎日。最初は徳島産の藍に人工的な触媒を加える“化学建て”を試みましたが、1年後にインド藍の“天然建て”に切り替えます。その間もストールやTシャツを染めて販売し、徐々に従業員に給料を出せるようになりました。
さらに「子どもに着せて安心な商品を作ろう。そのためには自分たちの目で確認した原材料を使いたい」と、日本で藍染めに主に使われるタデ藍の栽培にも取り組みます。しかし夏の短い気仙沼では思うように育たず、藤村さんたちは寒い地方でも育つインディゴ植物を探します。そうして、気仙沼の気候に適した作物として着目したのが、現在、フランスのトゥールーズ付近の狭い範囲のみで生産されているパステルでした。
藤村さんたちはさっそく種を取り寄せて植え、発芽、葉の収穫と一つずつ作業を進めながら、パステルが気仙沼の気候に合っていることを確かめました。「染めるなら気仙沼で育てた植物で染めたい」と考えての挑戦でした。
一方でパステル染めによる商品の販売先も確保しました。「いま、収益の大部分はインド藍の事業によるものですが、これをパステルの事業で成り立つようにしたいし、海外にも販路を開きたい」と意欲を見せます。
3人で始めた工房は現在、パステル栽培を担う農家を含め9人に増えました。「自分の事業だと思ったことはない。気仙沼のパステル染めを、ワインのように気仙沼の風土を体現した商品に育て、いずれは地場産業としてまちの皆さまにお渡ししていければ」。
震災発生から8年。「新しい建物が増え、まちに色彩が戻ってきた」と藤村さんは喜びます。インディゴ気仙沼が染める青や水色も気仙沼のまちを彩る色の一つ。その魅力が国内外に広まることを願って、インディゴ気仙沼の挑戦は続きます。

※インディゴ/鮮やかな藍色を作り出す染料

●株式会社インディゴ気仙沼 https://www.indigo-ksn.com/


―復興を担う女性たち― 「亘理町の文化から生まれた手作り雑貨。ビジネスとして長く続けていきたい」 株式会社 WATALIS

亘理町は町面積の約半分が浸水し、8万人が避難しました。震災から数カ月後、引地恵さんは町内でコミュニティづくりのためのワークショップを始めました。
亘理町には着物の残り布でつくった巾着袋にお米などを入れて感謝を伝える返礼の文化があります。引地さんは、その巾着袋を地元の女性たちの手で再現し、着物リメイク雑貨として販売していこうと考えました。ワークショップに集まった地元の女性たちとともに和裁の先生の指導を受けながら、手作りの巾着袋を「商品」として送り出せるよう、腕を磨きました。
2015年、引地さんは大きな決断をします。着物リメイク雑貨の製造販売をコミュニティ活動から切り離し、新たにつくった(株)WATALISへ移したのです。販売したお金で材料を仕入れ、作り手に製作費を支払い、経費をまかなう―。そんな当たり前の「ビジネス」として事業を続けるためでした。
「コミュニティ活動と並行して取り組んでいたので、着物リメイク雑貨の製造販売も、震災後の一時的な仕事づくりと見られていました。商談に赴くと、“きちんと供給できるのか”“納期は守れるのか”と信用を得る難しさに直面しました。“震災から時間が経っているので、もう扱わない”と言われたこともありました」。
“素人に会社経営は無理だ”と危ぶむ声もありましたが、引地さんはビジネスコンペに応募して受賞したり、ウェブ上に販売サイトを開設したりするなど積極的に道を拓きました。作り手さんに縫製を仕事として続けるかどうかを確認し、一層クォリティの向上に努めました。
(株)WATALISの事業は地元の友人知人や震災後につながった人々の応援を受け、着実に歩みを進めてきました。従業員は現在、作り手を含めて12人。アクセサリーや小物雑貨など商品の種類も増えました。WATALISは亘理町のワタリとお守りの意味のTALISMAN(タリスマン)を組み合わせた造語です。「商品を手に取っていただくことで亘理町に関心を持っていただければ嬉しいですね」。
故郷で生まれ故郷を伝える地場産品は、地域経済の担い手になります。「長く続けることで地元に少しでもお金が入り、活気が生まれる。そういう道を目指していきたい」と引地さんは願っています。

※株式会社WATALIS http://watalis.co.jp/